雲とピアスとパラダイムシフト
10 死神と夢魔 (2)

「不幸な親子」に取り込まれそうになった蘭世を無事救い出し、歓喜と安堵のムードが落ち着いたころ、空腹を思い出した面々の食事を兼ねて催された楽しい宴───すなわち、サリがジョルジュに想いを打ち明ける直前。その席につきながらジョルジュの胸に湧き上がっていたのは、果たして自分の両親の場合はどんな心境だったのかという疑問だった

「ご両親の心境 って……」
「ああ、言ってなかったよな。おれ、親の顔を知らないんだ。……顔というか、生きてるかどうかも知らない」
「そうだったの……?」

明らかにサリの表情が翳った。あまり感情を込めずに話したつもりだったが、それがかえって悲劇的な状況を想像させ、サリ自身の過去の発言を顧み始めたのがなんとなく分かったので、ジョルジュはすぐさまそれを制止した

「うん。……あの、悲壮感漂って聞こえるだろうけど、そういう制度っていうか伝統でね。変に気を遣わなくていいから」
「……伝統? 死神族の?」
「そう。正確には、死神業に就く奴ら の」

死神業に就くのは男子、そのうち長男のみと定められている。対象者は、生まれてすぐ親元から引き離され、そのために設えられた施設において、然るべき教育を受けながら集団で育てられる というのが死神族の伝統だった
その伝統は、自分の親兄弟の魂を狩る際に支障を来さないための配慮 などと、もっともらしい言い分を聞いたことがある。しかしながら魔界人は、不老不死の人生を続けることに飽きて、元気溌剌なままみずから柩に収まっていくのが大半なので、そもそも魂を狩る必要がなく、ごく稀に、不慮の事故等で魂を狩る必要がある事態が発生したとしても、それなりの頭数をそろえている現状、担当の割り振りでどうとでもなる話だった。なので実際のところ、その伝統の論理的な理由は見い出せていない

いずれにしても、親に抱かれたことはない。もしかしたら一度くらいはあるのかもしれないが、少なくともそんな記憶はない。家族構成も不明で、自分がどこかの夫婦の長男であったと聞かされるのみ。本来であれば親からの最初の贈り物であるはずの名前すらも、その施設で機械的につけられたものだ

「経緯は違うけど、ある意味おれはあの子供と同じ立場なんだよ」
「…………」
「……ごめん、本人としてはそうでもないんだけど、普通に悲惨な話だよな。事実は小説よりも奇なりってやつ?」
「悲惨っていうか……。立ち入ったことを訊くけど、ご両親を探したりとかは……今からでも」
「うーん、顔をまじまじと見ればなんとなく見当つきそうな気はするけど、特に探したりしたことはないな。死神族の集落はああ見えて結構広いぜ?」

積極的に探したことはないものの、想像したことは何度かある。自分の弟・妹に当たる子たちを生み育てることで心のバランスを取りながら過ごしているのかもしれないし、子は自分ひとりだけ、それきりなのかもしれないし、もしかしたら、自分のことなどあっさり忘れて楽しくやっているかもしれない。いずれにしても、わざわざ探してまでそれを直視する勇気が出なかったというのが正直なところだった

死神たちは皆、物理的には何不自由なく育てられたが、情緒的にはどこかおかしいまま育ってしまった者の集団なのではないかと自戒も込めてそう思う。彼らの誇る伝統とやらは、愛する者との間に子を成したとして、そのうち長男は自分と同じ経緯を辿ることを示している。そして、そもそも愛する者が我が身に宿し、長い間慈しみ、死ぬ思いで産んだ子が、その場で奪われていくのをただ見ているなんて、愛する者の心まで殺しにかかるようなものではないか。自分たちがそうであったから次の世代にも同じ思いをさせてやろうということなのか、感覚が麻痺してしまっているのか、いずれにしても、親としての心を犠牲にして成り立つそんな悪循環は

「他の奴らはどうか知らんが、おれはどうも嫌悪感が拭えなくてね……巻き込みたくなかった」
「巻き込む……って」
「おれたちに子供ができたとして、そういう思いはさせたくないなって」
「!?」
「サリがおれのこと好きだって言ってくれた時点ではさ、発想がそこで止まってたんだよね」

同族内ならまださておき、他種族の面倒事に巻き込むわけにはいかない。幸いなのか何なのか、夢魔族についてはそんな理不尽な話は聞いたことがない。能力も高く見目も麗しいサリのことだから引く手数多だろうし、その中から然るべき誰かを選んで縁を結び、誰からも祝福されるであろう然るべき場所において暮らしていくのが幸せというもの。それを自分は遠くから見守るのが最善の流れなのだ と、疑う余地もなく確信していた。前提である何かを変えることなど思いもよらなかった。あの時点では

「……なんか顔赤いけど、どうした?」
「どうしたっていうか……ええと……」

サリの頬が目に見えて紅潮していったのは、こんな、女性だったらなおさら胸が悪くなるような話を、包み隠さず話しすぎた、配慮が足りなかったか と思ったのだが、そういうことではないらしい

「い、いきなり子供って……。あの、試しにおつきあいしてみるとか、なんかあるでしょう? いろいろな行程を飛ばし過ぎじゃない?」
「いやいや、おれの話聞いてた? 好きなひとを試すなんて、ありえないだろ」
「あの、そこじゃなくて……ええと……。それは……まあ……」

と、サリは何やら言い淀む。うつむき、しばらく考え込んだあと、はっと気づいたように顔を上げた

「ちょっと待って! おつきあいに至らなくても、がっつり好きにさせてる時点で、あまり変わらないんじゃないの?」
「それは確かにそう……面目ない……。でも、自制が利かないくらい、こっちはこっちで一気に好きになっちまってたんだよなあ」
「ええ……」
「まあそう言わんでくれ……。本人がいちばん衝撃くらってんのよ。誰かさんといると、それまでの考え方とかスタンスが全然変わっちまってさ」

それまでは、誰とでも仲良くしているようで実は、本質に迫るようなことはのらりくらりとかわしていて、誰にも一線を越えさせることはなく誰の一線を越えることもなかった。仮に誰かと添い遂げたとしても醇正な幸福を返すことはできないのだから、初めからそうであったように最後までひとりでいればいい。そう思っていたのに、ふたりで過ごす時間はただただ楽しくて、ひとりの寂しさをくっきりと際立たせてしまった。気づかないふりをさせてもらえないほどに

「結局のところ、おれは自分のことも好きになってしまったんだと思う」
「……どういうこと?」
「おれが相手でなくても、サリが幸せになってくれればそれでいいと思ってたはずなんだけど」
「…………」
「それが……第二夫人だかなんだか知らんけど、城に入っちまったら最後、チラ見すらできなくなるんだなと思ったら……あ、無理 ってなって」

───結局、とるものもとりあえずここへ来てしまった
何をさしおいても失くしたくないものにようやく気づいて、それを得るために何かを変える覚悟をようやく決めて。ただそれだけを手にして

「無償の愛とかそういうのは持ち合わせてないんだよなあ……未熟者ですよ、まだまだ」
「我慢することが無償の愛ってわけではないと思うけど……」
「まあ、確かに」
「相手のことを好きで、自分のことを大切にする気持ちと両立できるのなら、それが一番じゃない?」
「…………そう、だよな」

サリは柔らかく微笑み、お茶を淹れ替えるからと言い置いて席を立った
頻繁にこの家へ訪れていたころ、いつもちょうどよいタイミングで出してくれたお茶の味と香りが良いのはもちろんのこと、淹れる所作が美しいことに気づいてからというもの、こっそり台所を覗いていたのを思い出す。日数だけを思えばそれほどの時が経過したわけでもないのに、なんだかひどく懐かしく思えるその光景を、時間を、過去の自分はなぜ手放せると思ったのか。なぜ何の覚悟もしないままいつまでも手元にしまい込んでおけると思ったのか

説明をさせてくれと希い、延々とこちらの事情ばかり述べてしまったが、説明になっていたかどうか怪しいところだし、仮に説明になっていたとして、サリがあの日の、そしていまの自分を許すかどうかはまた別の問題だ。淹れ直してくれたこのお茶も一杯めと同様に、ジョルジュの好きな銘柄を選んでくれてはいるけれど

「一度でも断ったことが許せないっていうなら、謝る。というか、一生かけて償う。本当にごめん」
「……うん」
「で、その……時間はかかるかもしれないけど、こっちのクソみたいな伝統は変えてみせるから、おれとのこと、もう一度考えてみてくれないか」
「…………」

その問いにサリは、答えではなくためいきを返した。そしてしばしの沈黙に落ちる
それが答えということか、それともいま少し考える時間が必要ということか。いずれにしても、こちらに許された分の弁明はさせてもらったし、第二夫人としての輿入れ問題は誤解だったと判明し、時間的な猶予だけは与えられた。それだけでも僥倖というものだ。願うことはできても選択権はこちらにない以上、ここは一旦下がるべきだろう。せっかく出してくれたお茶だからと一気に飲み干し、席を立つべく腰を浮かしかけた瞬間、サリが再び口を開く

「いやだって言ったらどうするの」
「あ、ああ……。どうするっていうか、もともと駄目元だから……。そのときはきっぱり諦めますよ。もともとおれが先を見据えておかなかったのが悪いんだし」
「そうじゃなくて、『伝統』の話」
「あ、そっち? どちらにしても変えていくよ。今のままじゃ、不幸の悪循環だからなあ」

もしかしたら、同じ死神でも特に若い世代の中には、同じ感覚の者もいるかもしれない。……いると信じたい というのが正直なところ

「変えたとして、それでジョルジュには何が残るの」
「お、おお……核心ついてくるねえ。確かに何も残らんな……まあ風の噂でサリの耳に届いたら、ちょっとは見直してくれるかも? ってのを糧にやっていくかな」
「さっき、きっぱり諦めるって言ったのに」
「そりゃあの時点ではそう言うだろ。カッコつけさせてくださいよ。あまり掘り下げ過ぎるのもよくないと思うよ?」
「そんな調子いいこと言って……すぐほかにいいひと見つけちゃうんじゃないの」
「…………」

待つ身であるべきはずなのに、返す刀で容赦なく切りかかってくる言葉と、負けずに返す言葉の応酬が小気味よく、思わず吹き出してしまう。神妙な顔をしていたかと思えば、心持ち頬を膨らませ、じとっとこちらを見ているのも、何から何までたまらない。ああ、もう『待つ』のは無理

「やっぱ楽しいな、サリと喋るのって。こう、油断してるとガンガン詰められてくるこの感じ」
「気が合うわね、わたしもさっきからそう思ってたところ」
「気が合うよなあ。でさ、話戻すけど……やっぱり好きだわ。むちゃくちゃ好き。忘れられるわけない。……おれとしては、こっちの意味でも気が合うとありがたいんだけど」
「…………」

やはりそれには答えず、サリはうつむいてしまった。けれどおとなしくなどしていられない。ジョルジュは席を立ち、サリの席のとなりの椅子に腰掛けた
この部屋には椅子が四脚ある。ひとつはサリの席、テーブルを挟んだ向かい側はジョルジュの指定席として陣取っている席で、そのとなりはルルの席と聞いている。もっとも、ルルはジョルジュの訪問時にはほんの数回しか同席していないのだが
そしていま腰を下ろした席はいつも空席だった。意識するしない以前の問題として、サリとの距離が近すぎるため、いままで一度も利用したことはなかった席だ。そこから、すぐとなりで震えている肩に手を伸ばす

「サリ?」
「わたしのほうが……ずっと前からそう思ってた……」
「……そうだったな、ごめん。ありがとう」

それでも、いまはおれのほうがずっと好きだけどね。そんな言葉をかろうじて飲み込みながら、ジョルジュはサリを胸に招き入れた

───世界は変わる、変えていく








許された。捕まえた。そう思った矢先だというのに、腕の中でサリが身を固くする気配を感じた。恐る恐る顔を覗き込むと、なにやら思いつめた表情でこちらを見上げている

「あの……ひとつ、きちんと謝っておきたいことがあるの」
「ん?」
「噂のこと……。さっき、王様がわたしを心配したからって言ったけど、ホントは」

サリを王の第二夫人として迎えるという噂。王がそれを発案した発端は、確かにサリの不調を懸念してのことではあったが、主目的はジョルジュの動向を見る───真意を試すというものだった。それを言いそびれていたことを、ずっと気にしていたらしい

「ああ、なるほど……おれはまんまと、それこそお手本のように釣り上げられたってわけね。たまにおかしな反応になってたのは、そういうことか」
「そうなの……ごめんなさい。結果的に試すようなことになって」

サリとジョルジュとの間に何があったか、王に話したのはその時点での状況のみで、事細かな事情までサリの口からは明らかにしていないとのことだが、王としては多分、それ以前のジョルジュの態度から見えてくるものがあったのだろうし、実際、思い当たるふしがあり過ぎる。そして、結果としてこうなった以上、文句など到底出てこよう筈もなかった

「いや、サリははっきり断ってくれたんだから、そこは気にしなくても」
「うん……ありがとう」
「ホントあの王は昔っからやりたい放題だな……とはいえ、いよいよ一生頭上がらなくなったな」
「まあ、そもそも王様なんだけどね」
「それもそうだな」

一生頭が上がらない相手はもうひとり、目の前にいるのだが、それはそれとして。ジョルジュは改めてサリを抱きしめる腕の力を強めた



→ 11