雲とピアスとパラダイムシフト
11 ある王兄の一日 -昼餉後:魔界城にて-
「……行くぞ、支度しろ」
「どうなってるか、見てきてくれるとありがたいなあ」
家主が飛び去ったあと、仕切り直しで食事会を始めてはみたものの、心ここにまったくあらずの様子で窓の外にチラチラと目をやる蘭世に声をかけたのは、俊と鈴世と、ほぼ同時だった
苦笑する男二人にまったく気づかず、弾かれるように席を立った彼女とともに瞬間移動し、いまはこの世界の王、アロンの住む城にいる
実はここに来るのはそう珍しいことではない。他にでかけるあてがないことも手伝って、最近は、週1・2くらいのペースで兄弟夫婦一緒に、あるいは親族一堂に会して夕食をとっている。ここに来た日の歓迎会のような、かしこまった宴席を用意されるとかでなければ、大人数で食べるのは嫌いではないのだ
ただし今回は、いつもの食堂ではなく、つい先刻までアロンが客と会っていたという謁見の間に乗り込んでいた。覚悟を決めた死神はともかく、それ以外の二者を説得、あるいはいざとなったら死神に加勢する心づもりでやってきたのだったが、そこに死神の姿はなく、そもそもこちらには来ていないという。きっと夢魔本人の居宅へ向かったのだろう。そうであるならば、それを追ってふたりの会話を少しでも邪魔してしまいかねないような無粋な真似ができる筈もなく、この場にとどまり、突然とんでもない火種を投げ込んできた張本人を全力で吊るし上げる任務にあたることになる───のを、俊は黙って眺めていた
「あれっ、どうしたの蘭世ちゃん、こわい顔して」
「こわい顔で悪かったわね! こんな顔にもなるわよっ」
「えっ、ぼくのせい? なんかしたかな……いや、最近はぼくも真面目に王様やってるから、ぜんぜん心当たりが……」
「とぼけないで!」
蘭世は力任せにテーブルを叩いた。出されたばかりのティーカップがそれに合わせて小刻みに揺れる
「いったいどういうつもりなの。よりによって、サリを第二夫人に迎えるとか!」
「えっ」
彼女はもともとアロンへの当たりが強いとは思っていたが、相手が王になった今でもそれは変わらずなのだなと俊は思った。そして強く当たられる王のほうはといえば、それをまったく意に介していないというか、楽しんでいそうなのがなんとも面白い。うっかりそれを指摘したら最後、火山が大噴火しそうなので、ここでは触れないでおいた
「なんだ、その話か。え、そこまで怒る?」
「怒るに決まってるでしょう! サリの気持ちを考えたら、そんなこと! フィラさんだって……!」
「ちょ、ちょっと待って! 蘭世ちゃん、なにか誤解してない? 確かにさっきまでここでサリと会ってて。そういう噂を流してみようかって提案はしたけど」
「……え? うわさ?」
「うん。で、その場で即お流れになったよ? なんでそんな大騒ぎして……ていうか、そこまで聞いてるんじゃないの?」
「ええ……?」
噂。なるほど、一連の流れを目前に、なんとなく拭い去れなかった違和感の正体はこれだ。会うたびいつも見せつけてくる、奥方への陰も日向もないご執心っぷりにも拘わらず、さらなる二番手三番手を求めるという発想がそう簡単に出てくるものなのかと
「でも、ルルが……」
若干トーンダウンはしたものの、蘭世はなおも食い下がる。確かに、そうしたくなるくらい、あの羊の慌てようは尋常ではなかった
「ルル? ……あれっ、あのときルル、ここにいたかな……。ああ、外で待ってもらってたんだ」
「外?」
「うん。別件で真面目な話もあったから、ちょっと外してもらって廊下で。だからこの話、ルルも知らないはずなんだけどな。万が一、サリが教えたんだったら、ちゃんと噂だってことも言うだろうし……うーん……?」
そう言いながら首を傾げたアロンの目に曇りは感じられないし、文脈に矛盾もない。拍子抜けしながらしおしおと謝る蘭世に、アロンは、ぜんぜんいいけどそんなに怒ると胎教に悪いよと笑いながらお茶をすすめた
「ルル、どこで勘違いしちゃったのかしら……ものすごい勢いでやって来たのよ」
「……あの突進をまともに受けて、あいつよく無事だったな。半分くらいは毛だろうから、そこまでのダメージでもないのか?」
「あいつって?」
「ジョルジュ。ちょうどジョルジュの家にわたしたちが遊びに来てたところで……」
「え!? じゃあジョルジュもこのこと知ってるの。ていうか、誤解してるの」
「ああ。慌ててすっ飛んでいった」
「ひょえ~……」
アロンは目を白黒させながら心底驚いたような声をもらす。しかしその直後、誰にも聞こえないくらいの声で、悪いことしちゃったかもなあ…… と呟いたのを俊は聞き逃さなかった
「でも……。そもそも、なんでそんな噂を流そうだなんて」
「ああ~……えっと……。その、蘭世ちゃん、どこまで聞いてるの? サリと……ジョルジュのこと」
「どこまでって……ちゃんと聞いてはいないけど、なんとなく、流れは……」
あのふたりがすでに『友人の友人で仲間』ですらなくなってしまっていることは、先刻の騒動で承知していた。ジョルジュが文字どおり飛んでいった後、詳細をある程度把握しているのであろう鈴世が改めて口を割ることはなかったが、それ以前の時点でポイントを押さえたヒントはきちんと提示されていた。そして、それよりもっと前に、他でもない本人が言っていた───『いろいろあるんだよ』。その言葉が示すとおり、彼のほうから行動を起こすことはないのかもしれないが、それでも時間の問題だろうと思っていたのに
「サリ、ジョルジュにフラれちゃったって」
「それ……。サリがそう言ったの?」
「うん、まあ……そう聞いてる。けどさあ」
「なにかの間違いというか、行き違いがあったんじゃないの?」
「やっぱりそう思うよね? だって……ジョルジュ、めちゃくちゃ好きでしょ。サリのこと」
「うーん……。わたしたちがこっちに来た日、ふたりそろって会いに来てくれたのね。そのとき見た感じだと、ジョルジュがっていうよりもむしろ、お互いにいい雰囲気だったのに」
「でも、他でもないサリ本人がそう言ってたんだよ。……顔を合わせたくない、とも」
「…………」
「サリ、まったく気づいてないっぽかったからさ。結構踏み込んだことも言っちゃったんだけど、やけに頑なっていうか、聞く耳持たないっていうか」
「ジョルジュのこと、やさしいって言ってたのに……」
「そう、そのやさしいってのも、なんかさあ……。純粋なやさしさだと思ってる感じだったなあ。そんなわけないじゃん。サリって、仕事はめちゃくちゃ有能なのに、こっち方面はなんであんなポンコツなんだろ」
俊が口を挟む隙もなくふたりの応酬は続く。時折、おまえそんなことまでぺらぺら言ってやるなよ……と、目でサインを送り続けたが、次から次へとよく喋るふたりにはまったく伝わらなかった。女子か。まあ、確かにひとりは女子なのだが……
行き違いというよりも、むしろ彼は、それまでの関係性をすべてひっくり返すような、会いたくないと思わせるような方向にあえて持っていったのかもしれない。本来なら、いま不在のふたりを囲んで執り行うはずだった本日の食事会への参加を、彼女のほうが断固拒否したというのも、そういうことなのだろう
俊の場合は、突き放したつもりがあっさり失敗に終わったというか、手放すことなどできないとかえって思い知らされるだけの無駄足に終わった。だがそれは、いまも変わらず隣に座っている蘭世の働きかけがあってこその話。自らそれを覆そうとしている彼の場合は、果たしてどうなるのか
「いずれにしても、もっかいふたりでちゃんと話をさせないとだめだなって思ってさ」
「そっか……ありがとう……。ああ、あのふたり、どうなってるかしら。ちゃんと話して、少しでもいい方向に向かってくれるといいんだけど」
「まあね……。でもぼくは……一回はサリに怒られるかもなあ」
「え?」
ショッキングな噂を流すことで、彼はなんらかの動きを見せるかもしれない。そんな提案に加え、その場ではもうひとつ、十八番の自白剤を作り口を割らせることもできる などと、力技にもほどがある提案をしたらしい
だが肝心の彼女のほうは、それを決して善しとしなかったのだと
「たぶん……ジョルジュを試すようなことになるのがいやだったのね、サリは」
そんななか、慌てた彼が彼女のもとへやって来たら、彼女は、自らの意思を無視して周りが勝手に話を進めたと思うかもしれない。周りといっても、受け入れがたい提案をしたのも、その場にいたのも、アロンただひとり。事態がどう転んでも、その蟠りだけは確かに、彼女の胸に残るのかもしれない
「だとしてもまあ、一歩前進ってとこだろ。誰かが背中をもうひと押ししてくれるのを、案外、ふたりとも待ってたと思うけど」
「…………!?」
涙目になった蘭世の肩に手を添えながら、何気なく口にしたつもりだったのだが、言い終えた瞬間、アロンは俊の顔を意外そうな顔で見た
「……なんだよ」
「いや、ごめん……。あの、俊もそういうこと言うんだなって思って」
「は?」
「なんか、全ッ然興味無さそうな顔でずーっと黙ってるからさ。なんで来た? って思ってたくらいで……」
「…………」
「あらアロン、それは失礼よ。こう見えて、意外といろいろ見てるしいろいろ考えてるのよ?」
「へえ……」
『意外と』の箇所が若干気になりつつも、なにやらむず痒くなり、俊は口を噤んだ
「けど、口に出すのがすごく遅いから、いつもこう……まとめというか、おいしいとこもってく感じになっちゃってるだけなの!」
「…………は?」
完全に面白がっているだけの王と、頑張ってフォローしているつもりなのであろう妻と。どちらも大概失礼だ
俊が苦々しい表情になったのは、いい感じに冷めたコーヒーを一気に飲み干したからだけではなかった
そんなこんなでなんとなく和やかになった雰囲気のなか、話題というか疑問はいまだに残っていた
「そもそもジョルジュは、自分の気持ちをサリに伝えていないらしいのよ。それってもしかしなくても、ふたりの種族が違うってことが関係してるんじゃないかと思うの」
「え?」
「少なくともサリは気にしてたわ。すごく。で、サリから告白されてもジョルジュがその気持ちに答えなかったなんて……他に原因が思いつかないのよ。だとしたら、悲しすぎるわ……」
先ほど、彼女は頑なだったと称されていたが、それは彼女に限った話ではない。『いろいろあるんだよ』の『いろいろ』は何だったのか
覚悟を決めて彼女のもとに向かった時点で、彼の中では折り合いをつけているに違いないので、ここで騒ぐ話でもないのかもしれない。しかし、蘭世としては『乗りかかった船』ではないが、それなりに関わり、気を揉んでしまった以上、中途半端では終われないということか。いつだったか母に尋ねたのと同じ質問を、今度はアロンに投げかけようとしているらしい
「ねえアロン、あなたはどう思ってるの? 王様として」
「どうって……。まあ、ぼくもフィラと結婚してるから……」
「それは……アロンの場合は王族だから、種族がどうとか考える必要がなかったんでしょ」
「確かに、それはそうか」
そもそも、現王妃は先王が選んだのだと聞いている
アロンは、王族の証であり代々受け継がれてきた額冠に手をやり、しばらく黙考した
「父上は……まあ、双子の王子の件から見るに、伝統とかそういうものを重んじる人だったから……もしかしたら、あまり良くは思ってなかったのかなあ……。直接尋ねたことはないけど」
「…………」
「で。ぼくとしては、とくに拘りはないかな。多様性ってことで、むしろいいんじゃないの? って思う。いろんな種族が出てきたほうがおもしろいよね。……『おもしろい』はまずいか。いちおう王様やってる立場としては」
「それは、じゃあ……。認めるってこと?」
「蘭世ちゃん、その、『認める』てのもなんか違うと思わない? 妙に上から目線っていうか……言葉尻の問題かもしれないけどさ」
「……そ、そういえば、そうかも……」
曲がりなりにも相手は王様。だからこそ、ごく自然に口をついて出たフレーズだったのだろうとは思うのだが、確かに、どこからかといえば上からかもしれない。とある物事について、それが正しいのか、あるいは価値があるものなのか、判断を下す。そういう意味合いのように思えるから
アロンがそこに引っかかる・言わんとすることはわかる。形あるものを形式上区別して、認める。それは必要な行為だし王としての役割でもある。だが、この問題の本質はどこにあるかというと
「おなじ種族同士で末永く添い遂げるのもよし。違う種族に伴侶を見つけてずっと仲睦まじくやってくれるもよし。ひとりひとり好きなようにして欲しいよね。『みんな違ってみんないい』ってやつだよ」
「そう……、そうよね……!」
「ただし、種族がどうあれ、自分の志向と違うものを快く思わないのを、止めることもできないとも思ってるかな。いいと思う自由だけじゃなく、いやだと思う自由まで含んでの『みんないい』。少なくとも、それを盾に、誰かを傷つけるような真似をするのは駄目」
アロンの言葉は、やわらかな物言いではあるが、勝手にやれ、好きにしろ。心のあり方にまで他人の許しを請うな───そんな俊の思いと通じるものがあって、あまり積極的に認めたくはないが、こういうときやはり自分たちは兄弟なのだなと思ったりもする。そしてこんなときやわらかな物言いをできることこそが、王としての資質というものなのかもしれないし、俊とは決定的に異なる部分なのではあるが
「良くも悪くも、心まで掟で縛ることはできないからね」
そう言ってアロンは笑った
その笑顔は、変わるものも変わらないものもすべて受け止めていく。これからもずっと
→ おまけ