夢で逢えたら 02 露顕

いつもなら仕事帰りに立ち寄るその家のドアをノックしたのは、まだ日も高くうららかな午後の時間帯だった

「どうしたの」
「ん? 急に顔が見たくなってさ」
「…………。狙いはなに?」
「純粋な愛を語ってるのに、この仕打ちよ……。おいしいケーキをお持ちしましたよお嬢さん」
「あらっ、それを先に言ってくれないと。お茶淹れるわね~」

ちょうど甘いものが欲しくなったところなのよ と、家主であるサリは笑った
本人の口から明かされたことはないが、夜中、ときに明け方に近い頃合いに自分がやってくるという前提のもと、彼女が仕事をいつも昼間にもりもり進めていることをジョルジュは知っている。そのため今ぐらいの時間帯での訪問はいささか気が引けたのだが、特に追及されるわけでもなく席に通され、いそいそとお茶を差し出された

急に顔が見たくなった というのは別に、思ってもいない出まかせを口にしたわけではない。つい先ほど、例のごとく情にほだされて決めてしまった密約は、本当にこれでいいのか、よかったのか。サリの見解を聞きたかった。その場にいたわけでもない彼女からしたら、そんな問いを向けられても迷惑極まりなく、ケーキのひとつやふたつでは賄いきれない話だとは思うのだが

───だが、さりげなさを装って切り出した経緯への彼女の反応は、予想とは真逆のものだった

「えっ、いまごろそんな話になったの!?」
「へ?」
「そうなんだ……わたしはてっきり、最初からそのつもりで家に住まわせてるのかと。とっくに何回か連れて行ってあげてるのかと思ってたわ」

『いまごろ』と言うように、時期についてだけは驚いたようだが、それ以外については眉ひとつ動かさず、ケーキを咀嚼するペースを落とすこともなく、むしろこちらが驚かされた。返ってきた言葉の字面だけを追うと、魔界といいつつその実は性善説で成り立っているこの世界の住人としては、なかなかのことを言われているような気がする。とはいえ、なるほど、早くから『気づいていた』者からしたら、全くの別件・ひょんなことから始まった鈴世の居候生活も、そういう狙いのものに見えるのかもしれない。彼と、隙あらば彼を追い落そうとするおませな姫君との攻防戦歴を端的に伝えると、ひとしきり彼女は爆笑した

「とはいえ、そうか……おれはもちろんだけど多分鈴世も、こんな裏技に気づいたのはつい今しがただったわ……やっぱり鋭いねえ、サリちゃんは」
「…………。追い詰められると、意外と、すぐ近くのものが見えなくなるからね」

サリはケーキを食べ終え、空いた皿をトレイに並べる
追い詰められる───確かに。本人になんら過失はないのに突然すべてを奪われ追いやられ、家族まで巻き込んだ形になっているこの現状は、まだ子供と呼んで差し支えない年齢の鈴世には荷が重すぎるだろう
おまえのせいじゃない そう声をかけたところで、彼が気に病むのは止められない。もっと我儘を言ってもいい そう声をかけたところで、彼が望む唯一のことだけが許されない。言葉が、発する側の自己満足に過ぎないのであれば、もっとなにか行動で。気晴らしでもなんでも、マイナスをゼロに近づけるだけではなくプラスに傾くようななにかをしてやりたいと、いつも思ってはいたのだけれど

「いまごろ、ニヤニヤしながら寝こけてるんじゃないかな、あいつ。人の気もしらないで……」
「え、寝てるの? こんな時間から?」
「そうそう。今夜の、楽しい遠足にそなえてね」
「ふうん」
「あ~あ、おえらいさんがたへの言い訳もそれなりに考えとかないとなあ……」

過去に何度か書いた始末書の、だだっ広い記載欄を思い起こすだけで、ジョルジュは胸焼けがしてくる。以前とは違い、業務に直接関わるわけではないので、誰にも見つからなければ何事もなく済むのだが、もし見つかってしまった場合には、それなりの文面を求められる。こと、今回に限っては

長いため息をついたあと、よほどげんなりした顔をしていたのだろう。皿を下げがてら淹れてきた二煎めのお茶を、サリは苦笑しながらこちらに差し出した

「……夢で、鈴世くんに記憶を埋め込むこともできるけど」
「え? 記憶って……」
「こう……むこうに行って、しばらく恋人同士水入らずで楽しく過ごして、その間はジョルジュは適当に時間つぶしてて……あ、ごめん仕事よね。仕事してて、いい頃合いで迎えにきてもらって、誰にも見つからずに無事帰ってきました……みたいな記憶」
「……ああ、そういう……」

それは魅力的かつ、ある意味理にかなった提案だった。確かに、サリの手にかかれば、そんな幸せな───文字どおり夢のような記憶のひとつやふたつ、作り上げるのは朝飯前のことだろう。余計な面倒ごとまでついてくる現実よりも、よほど気楽に過ごしていけるに違いない。夢で逢えたら、皆、何事もなく大団円に───

「そうすれば、掟を破る羽目にならなくて済むでしょう。ジョルジュも……鈴世くんも」
「!」

と。お茶を飲み下そうとした瞬間に放たれた追撃に、ジョルジュは思いっきり噎せ込む。サリは涼し気なポーカーフェイスのまま、ジョルジュの顔とカップを交互に眺めた

「あら、熱過ぎた?」
「……いや、そうじゃなくて、その……」

語尾にあからさまにアクセントをおいた口ぶりと、こちらを真っ直ぐ見つめる視線と。自ら直接は口にせず、あくまでこちらの出方を伺う姿勢は、裏を返せば、こちらが何を隠しているかくらいは既にお見通しであるということ。また、いつもそうであるように、一煎めの時には台所に置かれていたティーポットが、今はテーブルのど真ん中に鎮座しているのは、口を割るまでつきあってやるということ。何重もの圧力をくらってしまっては、流石に白旗を揚げるしかなかった

「……そうやって、きっちり全部白状させるんだもんなあ。隠したところでひとたまりもないな」
「まあね。正直、半々ではあったけど」

半分の確率で読まれていただけでも十分に怖い。ただ、その聡明さが彼女の魅力のひとつであって、ほっとさせられる要因でもあるのだが、それは別の機会に掘り下げるとして

日々、人間界に出向きながら、ついでにこっそり鈴世をむこうに連れていくことを、ただの一度も考えなかったわけではない。裏技と言ったのは完全に建前であって、そんな方法もあるということに気づいたのは、実はだいぶ前のことだった
気丈にふるまってはいるが、いまひとつ元気がないまま、たまにぼんやりと遠くを見ている彼を眺めていると、やはり忍びない。とにかく何かしてやりたかった。それこそ、マイナスをプラスにするような。にも拘わらず、結局提案できずに至ったのはなぜかというと

「おれは、正直そこまでひどい目に遭わなそうな気もするけど……鈴世はなあ……。バレたらどんな沙汰があるか」
「沙汰……うーん、そうねえ……」
「今までと違って、主犯扱いになっちまったら……庇いきれないかもしれない」
「…………」

これまでは、主犯および実行犯はあくまで自分 そう言って乗り切れた。だが今回は、行き先が行き先である以上、たとえば、嫌がる彼を無理矢理連れて行ったなどという理屈は通用しないだろう
また、彼に沙汰を下すのは死神族ではない。懲罰という形でこの世界に留めさせられている彼が、それ以外は行動にも能力にもなんら制限を設けられずにいるのは、彼の立場への斟酌によるものではなく、ひとえに王の信頼に依るもの。掟を破るのではなく、信頼を裏切った結果、何が待っているのか。それは誰にも分からない

頬杖をついた姿勢のままずるずると沈み込み、こめかみをようやく支えていたジョルジュの手に、サリの手がそっと触れる。顔を上げると、サリはカップを片手に席を立っていた

「……すぐ作るわ、シナリオ。ちょっと待ってて」



→ 03 幽夢