シナハノナクゴウノ夜
互いに違う場所で互いによく似た誰かに遭遇してみたり、魔界ではなんだかよくわからない何かが発生してみたり。それなりに鬼気迫る状況と思われるなか、そうは言っても今の段階でできることは何もない。いつもどおりの楽しい時間を過ごし、いつもどおりの時間に寝室へ籠もる
そんなふたりの、寝る前の定番となっているその日一日の振り返りにおいて、話題のトップを飾ったのは、蘭世の本日の成果についてだった
「そうそう、わたし、あたらしい呪文を使えるようになったのよ!」
「へえ」
愛良が修行を再開するついでに、自衛手段として勧められた魔法の習得。本人はノリノリでいるがどうなることかと思いきや、早速ひとつ、術を得たらしい
修行を開始したのは、今日の昼間からと聞いていた。噛みつくしか能が無いとか、本人自ら言っているが、案外、その手のセンスはいいものを持っているのではないかと思ったりする。少なくとも、誰かの夢に入り込む術については、なかなか堂に入ったものだった
夕餉の食卓で、愛良の修行経過については次々と報告が上ったものの、その習得したての詳細についてまったく話題に上らなかったのは、ご丁寧に家族全員への緘口令を敷いていたかららしい。そんな顛末を述べながら、ベッドに並んで座る蘭世は、うずうずと俊の顔をチラ見する
「あの……。かけてみていい?」
「どうぞ」
まあ、そうなるだろうな とまでは態々言わなかったが、顔には大いに出ていたのだろう。蘭世は、エヘヘ と肩を竦めながら立ち上がる。俊の向かいで一旦『気をつけ』の姿勢をとり、そのまま一息つくと、まっすぐにこちらの目を見つめ、声高らかにその呪文を詠唱した
「……じゃあ、いくわね。ナクゴウ!」
「!」
その瞬間、俊の耳の奥には金属音のような音がぴしりと響き、頭の天辺から尻、膝から踵まで、それぞれ一本ずつの軸を通されたような感覚に陥る。その軸で体を地に打ちつけられたように、身動きがただの一ミリも取れなくなった
「………いい感じだな」
「やった!」
時間にすると、ほんの四十秒くらいか。決死覚悟の旅に出る少年の支度が済むくらいなのだから、怪しげな輩の足止めとしても充分に用を成すだろう。そしてなにより、ナメてかかった・狙いが不明な中での不意打ちとはいえ、そこそこ以上の能力を誇る自分の動きを封じるとは。ここは素直に脱帽するしかない
「……あれ? でも普通にしゃべれてない?」
「いや、動けるようになってからだぞ。喋ったの」
「そう? でも……あ、そうか、他のみんなよりも、効いてる時間がずいぶん短いんだわ……愛良もだけど、あなたが強すぎるから……?」
「それはどうか分からんけど」
他のみんな とは。江藤家に着くなり、練習半分・お披露目半分で、その場にいた全員に対して術を試しまくったのだという。そのときのにぎやかな光景が、手に取るように浮かんできた。楽しそうでなにより
対して、目の前の魔女殿は、ただいま現在の結果がいまいちお気に召していないらしい。しばらく黙り込み、気を取り直したように顔を上げた
「ちょっとアレンジしてみようかしら……。ナクゴウ・クラバシ!」
「………………」
「効いて……ない……?」
俊の体をつんつんとつつきながら状態確認してくるのに答えるかわりに、おかえしも兼ねてやわらかな頬をつつくと、蘭世はがっくりと肩を落とした
「いや……そんな、いかにもいまから行きます感を垂れ流しながら来られても……。『ナ』の瞬間にこっちも構えるだろ」
「…………。同じようなことを、メヴィウスさんにも言われたわ……」
「しかも、習って間もないのにアレンジって」
「イキオイでいけるかと思ったのっ」
『クラバシ』=『暫く』って、そのまんまではないか……まあこの世界の呪文は概ねそうなのだが……。そして『暫く』の時間感覚は、かけられた方の主観によると思うのだが、それはいいのか?
いずれにしても、今の時点でのアレンジは流石に、時期尚早にも程がある。本人にもその自覚があるのか、諦めたのか、俊の開いて座る脚の間に片膝をつき、そのまま正面からぺたりともたれかかってきた。慰めるつもりも特にないが、背中で遊ぶ長い髪を撫でると、俊の両肩に添えられていた手がそれに応えるようにするりと背に回る
「あーあ、もうちょっと長く止められれば、いろいろいたずらできそうだなって思ったのに」
「いたずら?」
「うん……動きを止めてる間に、こんなふうに……」
ゆっくりとその顔が近づく。唇やら首筋やらそこかしこを嗅いでみたり啄んでみたりするのを、単なるいたずらと呼ぶべきなのかは微妙なところだが、重ね重ね楽しそうでなにより。そんな、彼女らしからぬテンションの勾配具合は、よほど魔法修得が嬉しかったということなのだろう。それだけではないのかもしれないが。ならば、それらのブラッシュアップをサポートしていくのも吝かではない
「…………。口じゃなくて、頭の中だけで唱えてみれば」
「ああ~! それ、いいかも!」
「…………」
「…………」
俊の胸に頬を押しあてたままそこにとどまっていた蘭世は、その提案に飛び乗った。改めて互いの目線を合わせ、黙り込むこと数秒。爛々と輝くその瞳とは対照的に、寝室にはしんとした沈黙が満ちていく
とはいえ、決してその呪文が功を奏したわけではない。ぴくりとも動かないでいる俊の様子に気を良くしたように見えたあたりで、おもむろに互いの鼻先を擦り合わせてやると、蘭世はカンカンになって抗議した
「もう! 心を読んでるでしょ!」
「読む以前に、おまえの脳内の声がデカ過ぎるんだって」
「じゃあそう言ってくれればいいじゃない! そうやって面白がって、もう……。…………」
「…………っ、ふ」
確かに、無駄に泳がせるのは大変失礼なので、術にかかったふりをするのはやめた。もっとも、憤然と眉根を寄せたふくれっ面だったのが、その瞬間であろうタイミングで急に真顔になったところでツボにはまり、吹き出すのを堪えられなかっただけなのだが
「やっぱり読んでるじゃない! 小さい声で念じたのに!」
「いや……顔というか目にありありと出てるから……。目え閉じてやってみろよ」
「なるほど!」
と、合点承知とばかりに蘭世は目を閉じ───ようとした直前に、そもそもの大前提との矛盾に気づいたらしい
「……って! 相手の目を見ないとこの魔法は……、あっ?」
気づいたところでもう遅い。肩をぐっと引き寄せ、その勢いのまま彼女ごと体を反転させる。ベッドの中央まで引き摺り、改めて深々と口づけると、まるで初めてそんなことをされたかのように一気に頬が燃え上がった。そのくせ、寝衣の裾をたくし上げ露わになった肌は瑞々しく、俊の手のひらを待っていたかのようにしっとりと吸いついてくるのだから、堪ったもんじゃない
「……あ、あの……あな、た?」
「なに」
「なにって……」
「いたずらがどうとか、さっきまでは随分威勢がよかったのに」
「ち、ちが……! そういう意味じゃ、なくって……」
じゃあどういう意味なんだ と追及しないでおくだけでもやさしいものだと思う。無防備な耳朶をやわらかく喰む唇に律儀に反応し、蘭世はその身を捩らせた
悉く疑われていたが、呪文相手に奮闘する蘭世の胸の内について、積極的に覗きにいったわけではない。ただ、勝手に流れてくる思念が、呪文以外にもうひとつあるのはしかと確認した。それは、昼間にきっちり否定しておいたのに、どうやら安心しきれていない様子の、もうひとりの彼女(なのか、なんなのか)の存在。一瞬しか目に留まらなかったうえに、本人ではないと確定した時点で必要最低限以上の興味を失ったので、俊としては、もともと朧げだった印象が薄れていく一方なのだが、彼女としてはそうではないらしい。直接対面していないせいも多少あるのかもしれない
根本的な問題として、自分に姿形が酷似した存在に夫が絆されそうで悶々とする だなんて、自分に自信があるのかないのかはっきりさせてから物事を考えて欲しいものだ。ついでに言うと、本人はいたって無意識のつもりなのかもしれないが、自分の強烈な魅力をこちらに再確認させるような、らしくもない働きかけなんかしなくとも、たったひとり以外が入り込めるような心の隙間など、こちらはハナから持ち合わせていないのだから、思い悩むこと自体が無駄なのだ
指先で弄っていた乳首は緩やかに立ち上がりながらその感度も増していたようで、もろとも押しつぶすように乳房を揉みしだいたら、いつもより高くそれでいて頼りない声が漏れた。乱れ始めた吐息が、次第に甘い熱を帯び始める。互いのそれが混じり合う距離まで俊は顔を傾け、蘭世の目線に自らの目線をまっすぐ合わせた
「ホントに違うんなら、頑張ってさっきの呪文唱えてみたらどうだ」
「えっ……」
「今なら効くかもしれないぞ。こっちはこっちで、もう身構えてる場合じゃないからな」
「そんな……。……っ、ん」
そこそこのセンスを有する筈の彼女の魔法と、こちらの抱えた尽きない情欲と。果たしてどちらが勝つのか、まったく興味がないわけでもない。だからといって、そのために敢えてこちらの優先順位を違えるほどのことでもないので、目線は合わせたにしても、口でも脳でも心でも呪文を唱える余裕などないくらい、追い詰めるつもりでいた。もし、本当に唱えるつもりがあるのなら の前提がついてくるが
『そんな』の『な』、『ナクゴウ』の『ナ』。どちらと主張するつもりなのかは本人にしか分からない。いずれにしても、その形で開いたままの口元に舌を捩じ込む。少なくともいまは、互いの利沢が絡み合うのを封じる呪文にとらわれる必要はなかった
→ wicca ~You’re my enchantment~