夢で逢えたら 04 逡巡

「とりあえず、これ」

出発を目の前に、ジョルジュの家の庭で気をつけの姿勢で佇む鈴世に差し出されたのは、目隠し用の布と漆黒のマントだった
目隠しというのは、死神専用ゲートまでの道程を把握できないようにするためのもの。そしてマントは、新人の死神のふりをしてゲートを突破するための扮装用。言われるがままに羽織ってみると、ジョルジュの身に着けているものよりもひとまわり小さめのサイズで、鈴世の身丈に合わせて仕立てたかのようにぴったりだった
なるほど、新人に扮するというのであれば、体に合っていないマントを身に着けているというのは、隙というか怪しさを醸し出してしまうかもしれない。とはいえ、まさかこのために用意してくれた? ……という顔をしてしまっていたらしい。ジョルジュは鈴世と目が合うと苦笑した

「……おれが、初任務のとき着たやつ」
「えっ!? そんな、思い出の詰まったもの……」
「思い出って。まあ、あのころはいろいろ必死で、たいした記憶はないから安心しろ」

ジョルジュが空を見上げた瞬間、どこからともなく雲がやってきて、ふたりの前で止まった。ふわふわとそこでとどまる雲を点検するかのように、ジョルジュは目をやり手を当てる

「他の奴らも来るいちばん忙しい時間帯を狙うから、番人も話しかけてきたりはしないだろうとは思うけど、もし話しかけてきたら、うまいこと調子あわせてくれな。度胸で押し切れ」
「う、うん」

じゃあ行くか。そう言ってジョルジュは雲に飛び乗る。その後ろに続いて鈴世が乗り込み姿勢を整えたタイミングで、雲はそろそろと滑り出す
目隠し用の布は鈴世に預けられたままで、つけるタイミングの指示もなければ、つけたかどうかの確認もない。そのままこちらを振り返ることもない背中は、自分のことを信用してくれているという証だ。それがなんだかとても嬉しく思えた
目元にぐるりとひと回し布を巻きつけて固く縛り、フードを目深にかぶる。かぶった矢先だというのに、どんどん増していく雲のスピードに比例して強くなる風に煽らればたばたと翻るのを、鈴世は必死で押さえた








「───着いたぞ」

小声で示されたのに従い目隠しの布を外すと、ジョルジュはそれを引き取り漆黒のマントに仕舞った
久々に開けた視界は、みな同じ装束を身に着けた死神たちの、文字どおり黒山の人だかりと、その黒山越しに見える件のゲートと思しきものでほぼ埋まる。いま乗っている雲とはまた違う灰色の雲に、薄暗くけぶられながらそびえ立つ、高い高い石の壁。魔界の夜は街灯などなく星明かりだけが頼りとなるため、もともと暗いが、もっと暗い、質からして異なるようなおどろおどろしい闇のなか、そのゲートは何とも言えない威圧感を放っていた。鈴世にも分かる。ここは、世界が違う。死神だけが足を踏み入れるのを許された場所だ
長い列の最後尾に並び、なんとなく息をひそめながらゲートをくぐる順番を待つ。そこにひとり分近づくにつれ、鈴世の心臓は早鐘を打った。どうか、怪しい者だと思われませんように。どうか、この唯一の望みが絶たれませんように。気がつけばぐっと手を握りしめていたのを労わるように、ジョルジュはこちらを振り返り、鈴世の膝頭をポンと叩いた

「おっ、どうしたジョルジュ。今日は見かけない顔を連れてんな」
「ああ、新人の研修でね。今日からデビューなんだ。終日、おれと同行。今後ともよろしくな」
「へえ。そんな予定入ってたっけな」
「あれっ、そっちに話行ってないか? ぎりぎりになって決まったからかな……」

ようやく順番が回ってきた。ジョルジュと、多分ゲートの番人と思われるマント姿の男が気安い感じで話し、その流れでこちらにちらりと視線が寄せられてくる。なにか薄い帳簿のようなものを手にしているが、そこにあらかじめ記載されている予定と照らし合わせての確認ということか。ジョルジュが臆面もなくすらすらと進める話に倣い、さも新人ルーキーのような笑顔をつくろいながら、鈴世はぺこりと頭を下げる。もっとも、にこやかに微笑んだつもりなだけで、実際のところはだいぶ引きつっていたに違いないけれど

その微妙な笑顔がかえってよかったのか、ひとえにジョルジュの信頼の厚さゆえか。それ以上特に突っ込まれることもなく、ふたりはすんなりとゲートを通された。最大にして唯一の関門を突破したといったところか。しばらく飛び続けたところで、鈴世はようやくほっと息をつく

「長旅おつかれさん。……もうちょっとで着くぞ」
「えっ」

声を掛けられるまで気がつかなかったが、どこまで続くのかと思われた暗闇は、なんとなくその質感を変えていた。向かい風に打たれながらゆるやかに降下していくと、突然眼下の景色が変わり始める。闇から一変、そこには見慣れた───すこし前まで鈴世もその一部であった、ビル群や公園や道路等、人間界の風景が広がっていた。ぐんぐん進むにつれ、繁華街から住宅街へと更にその風景が様変わりしていく。住民たちがほぼほぼ寝静まっているであろう時間帯のはずなのに、魔界と比べると妙に活気を感じさせられた

整然と家屋が立ち並ぶなか、不自然にそこだけぽっかりと空いたスペースは、まわりの風景からみてきっと、かつて鈴世たち家族が暮らした家があった場所だ
鈴世たちが去るのとほぼ同時に、こちらの世界のたったひとり以外、人々の記憶を操作したと聞いている。そのひとり以外、ここに何もないことを不自然に思う者は誰もおらず、世界は変わらず回っていく。自分という存在は、件の騒動で認知されたその他大勢の人々はもちろん、友人たちからもすっかり忘れ去られている。そのこと自体鈴世は、何とも思っていないとまで言ってしまうと言い過ぎだが、仕方ないことだと思っている。けれど残されたたったひとりは、そのことをどう感じながら今を過ごしているのか。それを思うと胸が痛んだ

帰ることができるのか、また、もし帰ることができるのなら、それはいつのことなのか。なにひとつ分からない、決められない。こんな状況にもかかわらず、ここを去る瞬間、鈴世は自分の気持ちを最優先した
ばたばたと撤収する波に急かされ慌てていたから なんて言い訳にもならない。一家総出で本当の姿を晒して大暴れした時点でここにはもう居られなくなると薄々感じていて、そうである以上、今後のことについて考える時間は充分にあった。自分だけ人間界に追放してくれ だなんて、罰にはならない・受け入れられるはずがないと自分でも分かっていた
なんの切り札も持っていないくせに、待ってて欲しいと願うこともできないくせに、ただ、好きだとだけ。いつも、どんな時でも。時の流れすら異なるふたりだというのに、そんなお気持ち表明になんの価値がある? 結局のところ、報いるあてもないのに彼女を縛りつけてしまっただけ。自分だけでなく、彼女のためを思うのであれば、伝えるべきはただひとつ───『ぼくのことは忘れて、ほかのひとと幸せになって』だったのかもしれない。いまなら、別れを選んだ義兄の気持ちもやさしい死神の気持ちも分かる気がした

「……来たのは間違いだったのかなあ」
「ん? なんだなんだ、今になって日和ってきたのか?」

思わずこぼれ落ちた呟きに反応し、ジョルジュは鈴世のほうをちらりと振り返った

「日和ったっていうか冷静になっちゃったっていうか……。なんか、自分の気持ちを押しつけてるだけだなって思って」
「なんだそりゃ」
「このまま会わないでいたほうが……なるみにとってはそのほうがいいのかも」
「…………」
「外からひと目、様子を見るだけにしようかな……」

先刻、『今後ともよろしく』という挨拶に準じて頭を下げたが、決して『今後』があるわけではない。今回限り。それがここに来るために交わした約束のひとつでもある。それでもいいと思った。ほんの一瞬でもふたりで過ごすことができたなら。けれど、それでもいいというのは鈴世だけの意見であって、果たして彼女はどうなのか。難易度や是非はいったんさておいて、会いに来る手段が一応あるにも関わらず、その後一度もやってこないというのは、彼女の目にどう映るのか、どう思うのか

「寝てるあの子を外から見るだけって、趣旨が違ってくるだろ……。ていうかそれは、おれじゃなくてあの子に訊けよ。家、もう目の前だぞ」
「えっ。……あ」

ぐずぐずと考え込んでいる間に、彼女の家のすぐそばにまで来ていた

「訊けっていうか、ふたりで決めろ。話そうと思えば話せる場所に来たのに、それをしないのは勿体ないなって思うけど?」
「…………。なんかそのフレーズ、どこかで聞いたような……」
「はは。物事は、後先考えたうえで言うもんだなあ」

穏やかに笑うジョルジュに操られる雲は、屋根の周囲を緩やかなカーブを描きながら旋回し、彼女の部屋に面するベランダへ向けてゆっくりと降りていく。ゆっくりと───まるでその間にどうするかを決めろとでもいうかのように

「あの、ごめん……ごめんなさい。折角いろいろ取り仕切ってもらったのに、肝心のぼくがここにきてこんなこと言って」
「またおまえはそういうことを……。あのな、いらん気を回し過ぎなんだって」
「そ、そうかな……」
「かな、じゃなくてそうだな。何も考えず自分の気持ちをただどーんとぶつけたほうがいいときもあるぞ。おれなんか単純だから、そうしてもらったほうが有難いかな」
「…………うん」

彼女の部屋の窓を目の前に、雲はぴたりと止まる。隙間なく閉じられたカーテンからは一筋の光ももれてくることはなく、その逆もない。いまなら、なにも変えることなく戻れる。治りかけの瘡蓋をはがすようなことをしなくて済むのかもしれない。相変わらずジョルジュはこちらに背中を向けたまま鼻歌など歌い始めていて、いまどんな顔をしているか見られることもないし、多分、このまま会わずに戻ると決めたとしても何も言わないでいてくれるだろう。それでも、鈴世は雲からベランダへと一歩踏み出した

「じゃあ……まあ、とりあえずおれは仕事してくるから」
「うん」
「30分……1時間たったら、またここに」
「よろしくお願いします。ありがとう、ジョルジュ」

微笑みながら振り返ったジョルジュは、握り拳をにゅっと突き出す。それに握り拳を突き合わせながら、鈴世もまた笑った








「おっと。そうそう、そのマント脱がないと」
「えっ」

再び浮上しかけた雲を急ブレーキで止め、たったいま思い出したかのようにジョルジュは言った
確かに、このマントは件のゲートを怪しまれずに通るためのものであって、無事ここまで到着した今の時点において、用がないと言えばない。けれど、戻るときにもまた同様に必要となるのだから、わざわざ脱がなくてもいいのではないかと思われるのだが

「ちょっと前、あの子にこの格好見られてるからなあ。久しぶりに会う彼氏が死神になって帰ってきたら、違う意味でびっくりするだろ」
「そ、それは確かに……」

会えない辛さがあまって、とうとう命を獲りにきた などと思われたら一大事。鈴世はあわててマントのリボンを解く。さらりと滑る生地に苦戦しつつなんとなくの体で畳み終えたところで、ジョルジュが開いた右手を差し出した

「ほい。預かるから」
「え? でも、あの……荷物になっちゃわない?」
「え?」
「……!?」

と、言うが早いか、ジョルジュは鈴世から受け取ったマントを取り適当に丸め、自身のマントを一瞬めくったところへ放り込んだ。そして軽く手のひらで払うと、何事もなかったかのように鈴世を見返す。マントの質感も何ら変わりはないが、心なしか誇らしげに揺れたように見えた

「……前々から思ってたんだけど、そのマントの中ってどうなってるの……? 何でも出てくるし、何でも仕舞っちゃうし」
「それは企業秘密です。じゃあ、あとでな!」
「あっ……」

ジョルジュを乗せた雲は、それまでとは打って変わった猛スピードで飛び去っていく。それを鈴世は満天の星々を眺めながら見送った



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