鍵のない箱
メガネの先に見えた未来の顔かたちに一目惚れしたのが発端ではあるけれど、本当の意味で卓を好きになったのは、17歳の誕生日に三人で城を抜け出したあのときだ
『いろいろ思うことはあっても、それはそういうものとして自分の中で折り合いをつけていく、それが大人になるということ』卓は、そんな誰かの作った枠に納まろうとしていたココの背中を真逆の方向へ押してくれた。いや、それは背中を押すなんて穏やかなものではなく、尻を思い切り蹴飛ばされたような衝撃だった。その瞬間分かった。ココの見えているものと卓の見ているものは全然違う。それをどうしても一緒に見たくなったのだった
でも、依然として卓の気持ちが分からない。好きだと言われたことはない。そのかわり、嫌いだとも言わない
逆上して髪をざっくり切り落としたとき、それらしいことを言われたような気がするが、よくよく思い返せばあれは髪型の話だ。フォローの言葉を真に受けてこれ見よがしに再び髪を伸ばしたココのことを卓がどう思っているか、結局のところなんだかよくわからない
優しくしてくれたかと思うと、突然冷たく突き放したりする。だからといってしおらしくすることもできず売り言葉に買い言葉。顔を合わせれば喧嘩ばかりしていたのが、最近は会話すらままならない。そもそも会ってもいない。王族として席を外すことのできない行事以外で、すなわち卓が自発的意思でこちらの世界にやってくること、それはとても少なくなった。たまにやってくる愛良に尋ねてみれば、卓は部活だの何だのと忙しい日々を過ごしているという。それをもっと正確にいえば、日々あれやこれや発生する卓の世界を楽しんでいるということだ。ココと会うことよりもずっと
妙齢の娘がいつまでもフラフラしているのは、立場的にも心象的にもよろしくないのだろう。両親はことあるごとに『幸せな結婚』を勧めてくる。その『幸せな結婚』をしたのであろう両親を見ていると、いつも仲良し、どちらも互いを思い合っているが、たぶん父の愛のほうがほんの少し強火。現状に至るまでそれなりに紆余曲折があったと聞いているが、ふたりの暮らしぶり、特に母を見ていると、なるほど、愛するよりも愛されるほうが幸せに生きていけるのかなとも思わされる。実はそろそろ潮時なのかな、とも
確かに、いつまでもこのままではいられない。もたもたしている間に卓の目の前に素敵なお相手が現れてしまうかもしれない。かといって卓の内面に切り込む勇気はなく、はっきり拒まれたりしたらきっと立ち直れない。だからといって、なにもせず諦めることもできない。せめてなにか断片的にでもはっきりした未来像を見ることができれば、いまよりもっといい対応ができるに違いない。ほんの少しの勇気も出せないくせに、便利な道具の力で優位を得ようなんてずるいとココは思う。けれどそんな正当性にこだわる余裕はとうになくなった
───そしてココはその扉を開けた。目指すは未来。あわよくば幸せなふたりの姿を確認するために
降り立ったその景色には、なぜかところどころ違和感があった
白い家、門から続く小道を彩る花々と、手入れの行き届いた芝生。ざっと見れば勝手知ったる真壁家の風景だが、たとえば玄関のすぐ横にある庭木。それは、卓と愛良がそれぞれ生まれた日に合わせて植えたものだと聞いていた。それが1本足りない。そしてそれはココがこの家に来た最後の記憶のものより、だいぶ若くこぢんまりとした枝ぶりだった
「……。えっ……と……?」
首をかしげつつ、とりあえず目の前の家にテレポートで入り込む。行き着いた卓の部屋のはずの場所のレイアウトも、やはり見知ったものとはまったく違っていた。机や本棚があったはずの場所が、おもちゃ箱とそこに入りきらないぬいぐるみやらやわらかなボールやらで埋め尽くされている。うすうすそれらの違和感の正体に気づきかけていたところで、壁に下げられたカレンダーの表示を見てココは愕然とした。未来どころか、過去にもほどがあるほどの過去だ。年月だけでざっくり計算すると、この世界の卓は4歳。となりに並んでにこにこしているこの子と同じくらいだろうか。…………並んで?
「こんにちは!」
「こ、こんにちは……。あの……」
いつからそこにいたのか、ココのとなりに立つちいさな少年は、目が合うなり元気に挨拶してきた。あえて尋ねずとも分かる。面影も見覚えもしっかりあるこの子の名前は
「卓……くん?」
「うん」
「そ、そうよね……あの……いま、いくつ?」
「よんさい」
……計算は合っていた。なんの慰めにもならなかったが……
4歳。もしかしたら、この世界の自分とまだしっかり対面していないころかもしれない。現状を受け止めきれずがっくりと膝から崩れ落ちたそのすぐそばで、ようちえんのクラスはひまわりぐみです! と、元気な自己紹介が続いた。追加情報をどうもありがとう……
「……おねえちゃん、どうしたの? だいじょうぶ?」
「う、うん……ごめんね。ちょっといろいろ間違えちゃったことが確定して、がっかりしちゃって……」
「なにを?」
「なにを……。うーん……時間設定?」
「??」
時間設定と言ったものの、そもそも扉を間違えてしまっていたのだろう。未来への扉のつもりの扉の前に立ち、卓の年齢から計算して、切りよい年齢に合わせ時計の針をぐるりとひと回ししたつもりだった。が。その設定した年数の分だけ時を遡った世界にやってきてしまっているのだから
とはいえまあ、来てしまったものは仕方がない。とにかく早々に元の世界に戻ることを考えよう。そして本来の目的である未来の世界に改めて足を運ぼう……と、ココはなんとか気持ちを立て直す。とにかくこの場は穏便におさめ、静かに立ち去るに限る……のだが……
ココは、目の前の卓少年があまりに無防備すぎるのが気になっていた。このころから能力は顕在化して、既にいろいろなことができただろうし、ちょっとした不逞の輩など、その気になればいくらでも撃退できるという前提があるからかもしれないけれど
「ええと……卓くん」
「なあに?」
「あの……わたしが言うのも何なんだけどね。知らないひとが家にいたら、そんな簡単に話しかけたりしちゃだめよ? 逃げるとか隠れるとかしないと……」
「なんで?」
「なんでって……そりゃ、相手がどんなひとかわからないでしょ? もしかしたら怖いひとかも。……わたしが言うのも何だけど……」
「おねえちゃんはこわいひとじゃないでしょ」
怖いひとではないつもりだけど、こと、ただいま現在の状況においては、十分に怪しいひとではあるのよ……
「あのねえ、うちってね、よく来るんだ。もやもやしたおんなのひと」
「え!? そ、そうなの……?」
その発言は、無邪気に言ってのけた卓少年の表情とは裏腹に、とんでもない事件の香りがした
『おんなのひと』が『よく来る』。しかも『もやもやしたおんなのひと』!? え!? まさかあの伯父に限って、そんな面白い……じゃなかった、不義理なことをやらかしてしまっているなんて……!?
「うん。こないだも来た。もしかしてうちって、かけこみでらっていうやつなのかな?」
「駆け込み寺……それはたぶん違うと思うけど、ずいぶんむずかしい言葉知ってるのね……」
「あれ、じつはママだったんじゃないかなって思うんだ。そっくりだったし」
「え!?」
これまた違うベクトルの衝撃発言が投げ込まれてきた
その女性とやらが本当に伯母だったのかは定かではないが、あながちありえない話でもない。いまのココのように、縋るような思いで未来への扉を開けたのかもしれないし、単純に暇つぶしかなにか、アルバムをめくるような感覚で過去への扉を開けたのかもしれない。けれども『もやもやした』という前提がつくのであれば、前者の可能性が極めて高い。いずれにしても、あとで伯母にこっそり尋ねてみようと思った。立場上、卓のことに絡んだ相談だということはすぐバレるのだろうし、それはそれでなかなか難しいところではあるのだが
「おねえちゃん、おちゃのむ? コーヒーのむ? クッキー好き?」
「え?」
そして息をつく間もなく脈略もなく話題は変わる。卓少年はテーブルにセットされたおやつとおぼしき皿を指差しながら尋ねてきた。お気遣いは非常にありがたいのだが
「あ、ありがとう……でもそれ、卓くんの分でしょう? あのね、おねえちゃんお腹いっぱいなの。気にしないで卓くんは食べて食べて」
「そう? じゃあぼく、おやつ食べちゃうね」
そう促すと、卓少年は特に必要以上気にする風でもなく、クッキーをもぐもぐし始めた。たぶん手づくりのものだろう。にこにこ機嫌よくそれを食べる姿はなんともいえない愛らしさだ。当たり前だが卓にもこんな時期があったのだなと、なんだかしみじみさせられる。もしかしたら、喧嘩ばかりなのも冷たくあたるのもココに対してだけで、本当は、目の前の素直な姿のほうが卓の『素』なのかもしれない。ずっと見つめてきたつもりでいたけれど、自分は卓のことを本当になにも知らないのだ……
「……卓くん、毎日たのしい?」
「うん!」
「おとうさんとおかあさんのこと、好き?」
「うん! たまにすっごくおこられるけど、大好き」
「怒られちゃうんだ」
ココが苦笑すると、卓少年はカップのミルクを飲み込み慌てたように続けた
「うん。でも好き! あのね、パパはかっこいいし、いつもお風呂でね、おとこどうしのおはなししてくれるの」
「へえ……」
「ママはやさしいところが好き。ママはね、心を読む魔法は使えないはずなのに、いつもぼくのきもちをわかってくれるんだ」
「…………」
『突然現れた、母だったかもしれない女性』の話。それだけなら、語彙の少ない子供の戯言で済むかもしれない。ただ『魔法を使う・使えない』と口にしてしまうのは……。こちらの世界で見ず知らずの他人に対してそんな話題を出すこと自体、本来ならば禁忌のはずなのだが、そこに突っ込むのはやめておいた。この部屋にココが突然現れた時点で、目の前の少年がココのことを自分と同類なのだときっちり把握したうえで話を進めているのは明白だったから
そしてなにより、少年とはいえ卓の口から出た『気持ちを分かってくれる』という言葉が、なにかの手掛かりに繋がりそうな気がして、もうすこし話したい・話の腰を折りたくないと思ってしまったのだった
「……実はね。おねえちゃんも、卓くんのママみたいに、好きなひとの気持ちが分かるようになりたいの」
「え?」
「分かるようになりたいのに……知りたいのに、顔を合わせるといつも喧嘩しちゃうの。どうしたらいいのかな」
「…………」
「いっそのこと、魔法で心を読んじゃおうかしら」
「だめだよ!」
「えっ」
それまでのあどけなさとは打って変わって、別人のような鋭い声が響いた
驚きのあまり固まったココと目が合うと、卓少年ははっとして口をつぐみ、ゆっくり、言い含めるように話し出す
「あのね。ひとは誰でも、心のなかに、はこを持ってるんだって」
「はこ? ……ああ、箱? かしら」
ココが手で四角形を作ってみせると、卓少年は大きく頷いた
「でね、その箱には鍵がないんだって」
「鍵……」
「だから、あの……ぼくたちは見たいって思ったら見れちゃうけど、それは、箱のなかにあるたいせつな思い出とか誰にも知られたくないきもちとかを、勝手にぶちまけちゃうのといっしょなんだって」
と、卓少年は部屋の隅のおもちゃ箱のもとへてくてく進み、フェルト素材のサイコロやボール、くまさんやらうさぎさんやらのぬいぐるみをあたりにばら撒いた
「……って、パパが言ってた」
「…………」
無闇にただ放るのは流石に気が引けたのか、それらは落下速度を制御されたままゆるゆると床に落ちていく。ココがひとつずつそれらを拾い上げ、膝の上に勢揃いさせたところで、卓少年もすぐ隣にやってきて腰を下ろした
「……おねえちゃんも、本当はいけないこと……ずるいことだってわかってはいるのよ、でも」
便利な道具で安心を得ようとしてみたり、心のうちを覗き見ようとしてみたり。ずるいこと、いけないことだと頭では分かっているけれど
なりふりかまっていられるほどの余裕がなくなってしまった
卓少年は何も言わず、ココの膝から自分の膝にくまさんのぬいぐるみを連れて行った。放り投げたことを謝罪するかのようにやさしく撫でるのにつられて、ココもうさぎさんの顔やら耳やらを撫でてみる。ふわふわとやわらかな手触りは、ささくれだった心をほどいてくれるような気がした
「……ママからはね、心を読んじゃだめって言われたこと……ないんだ。でも、心を『読む』のと『分かる』のとじゃ、ぜんぜんちがうって言ってた」
「…………」
「あとね、『分かる』だけじゃだめで、『分かり合う』のが大事なんだって。だから、ぼくの箱の中身も相手に見せなさいって言ってた」
「え?」
「分かり合いたいほど大切に思えるひとだったら、きっとぼくの箱の中身も大切にしてくれるはずだからって。……おねえちゃんは、そのひとに、おねえちゃんの箱の中身を見せてみたの?」
「…………」
誰にも知られたくない気持ちも、ひとりにだけ知ってほしい気持ちも、なにも
「見せて……ない……」
「えっ!?」
卓少年がぎょっとしたのは、ココの答えに対してではない。答えるのと同時に頬をすっと流れ落ちた涙を目撃してしまったからだ
「え、あの……おねえちゃん、えっと……」
「…………っ」
「ぼくのせいで悲しくなっちゃったの? それともどこかいたいの? お水のむ?」
おろおろしながら卓少年は、猛ダッシュで取ってきたティッシュの箱を差し出す。ココはありがたくそれを受け取り、自分でも驚いてしまうくらい次々と溢れてくる涙をぎゅっと押さえた
「ご、ごめんね、びっくりさせちゃって。卓くんが悪いんじゃないの。どこも痛くない」
「ほんとに?」
「うん、ホントよ。卓くんのおかげで目が覚めたみたい。ありがとう」
ようやく気づいた。臆病になりすぎていて、いままで気づけなかった。ココが卓のことを何も知らないように、たぶん卓もココのことを知らない。何も伝えられていない。自分を守ることばかり考えて、卓にすべてをぶつけきれていなかったから
だったら、いまからでも当たって砕ける勢いですべてをさらけ出さなければ。……砕けるのは想像するだけで辛いけど、もし結果として卓がココを拒んだとしても、それまでのココの気持ちを踏みにじるような拒みかたはしないはずだ。何も知らないけれどそれだけは知っている。だからこんなに好きになってしまったのだ、卓のことを。───やっぱり、行くしかないんだ。現在の卓がいる世界に
「おねえちゃん……がんばって、好きなひとに箱の中身ぜーんぶ見せてみるね」
「…………」
涙が止まり、ようやく笑うことができる程度には、いろいろと吹っ切ることができたような気がする
それにしても。過去の世界にまで来ているというのに、それでも大切なことは卓に気づかされるというのは何というか……どれだけ頼ってしまっているんだろう。密かに胸のうちで溜息をついたところで、それまでココの顔をじっと見ていた卓少年の顔が突然ずいと近づき、そのまま唇をココの右頬に押し当てた
「え……!?」
ココは頬を押さえながら思わず後ずさる。その動きを封じるため……というわけではないと思われるが、卓少年は、ココの膝・ぬいぐるみやらクッションやらでいっぱいのところをまとめて抱きつくようにごろりと転がった。なぜかうれしそうににこにこ笑いながら
「大丈夫だよ。もしそのひとがおねえちゃんを悲しませるようだったら、ぼくがやっつけてあげる!」
「…………」
「ね!」
「あ、ありがとう……。あの、卓くん、あなたほんとに4歳……?」
いろいろ思い出すやらおかしいやら。苦笑しながらココは卓の髪をそっと撫でた
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