人形の夢と目覚め

「なんか……ごめんね。わたし、あなたを見くびってたのかも」
「え?」

 爆弾発言をさらりとぶっ放して去っていく卓を見送ったあと、蘭世は俊のとなりに座りおもむろにそう言った
 見くびっていたとは、息子に負けず劣らずの砲弾だ。しかし、とりたてて悔い改められるような善行を積んだ覚えもない。唐突な見解に俊がただそちらを見返すと、蘭世は嬉々として続けた

「愛良のお人形さんのことよ! ちょっと意外だったの。あのくらいの年頃の子が喜ぶようなものを、あなたは、ちゃんと分かってるんだ!? って」
「ああ……」

 「お人形さん」とは。愛良の五歳の誕生日に合わせて贈った人形のことだ

 昼間は大勢の友人達を招いて、夜は家族水入らずで。今日は、愛良の誕生祝い一色に染まった一日だった
 すこし小ぶりのケーキに立てたろうそくの火が、元気よく吹き消されたのを合図に、卓、蘭世、俊がこの日のためにそれぞれ選んできたプレゼントを主役に渡した。満面の笑みを浮かべた愛良は、ひとつずつ順番に包みを解いていき──最後の箱を開けるやいなや、ひときわ大きな歓声をあげた。はしゃぎながら抱き上げたのが、件の人形だ。それ以降ずっと愛良はその人形を離そうとせず、いまは並んで床に就いているという

「お人形さんがふたり寝てるみたいだったわ。……なんて、親馬鹿が過ぎるかしら」
「……まあ、気に入ったんならなによりだったな」
「そう! そうなのよ! ……で、わたしとしてはね、あなたがあのお人形さんを選んだことに、すごくびっくりしてるの!」
「…………」

 もらった本人よりも興奮気味で賞賛するのを横目に、俊は内心複雑な思いでいた
 実のところ、この件に関して、100パーセント自分の手柄としてしまうのは気が咎める。かといって、種明かしをするのもそれはそれで気がひけるのだが……やむなしといったところか。しばし逡巡したのち、観念して俊は重い口を開く

「昔……おれがひとり暮らしを始めてすぐ、年末年始の休みがやたら長い年があっただろ。久しぶりに、休みのあいだ目一杯、実家で世話になった……」
「え? ああ~、二年めだったかな? あの年って、カレンダーの並びがすごく良かったのよね。久しぶりにひとつ屋根の下で長く過ごして、ドキドキしたからすごい覚えてる!」

 心を読むまでもなく、そのドキドキとやらがちりばめられた過去の光景が、俊の胸にうるさいほどの新鮮味をもって伝わってくる。相変わらず、心の内の声がデカ過ぎるのだ。我が妻は

「多分その年で合ってる。で、そのとき……おまえがお義母さんとメシの支度してくれてるときかな? お義父さんと、アルバム見ながらいろいろ喋って」
「アルバム? ……えっ、それって……まさか」
「おまえの、子どものころの」
「ええ~~!?」

 蘭世のアルバムについては、本人から解説を交えつつ見せてもらったことがある。ただ、それは結婚してからの話だ
 本人のあずかり知らぬところで、実は既に公開されていたこと、また、本人が自ら公開したとき、俊がさも初見であるかのような反応をしたこと……蘭世にとってそれらは、二重の意味で衝撃だったらしい

「そうだったんだ……やだ、いまさらだけど恥ずかしいな……。おとうさん、何か言ってた?」
「…………。人形の話」
「あ! もしかして、エミリーちゃんのこと!?」
「確か、そんな名前だった」
「ああ~……」

 この期におよんで気恥ずかしさが先行して「確か」と前置きをつけてしまったが、その名前も造形もしかと覚えている

 アルバムに収められた写真の中、あどけない笑顔でこちらを見返す少女とともに、かなりの頻度で映り込んでいるその人形。それは、少女が五歳の誕生日を迎えた日に、義父が贈ったものだという
 ほとんどの時を屋敷の敷地内で過ごす少女にとって、その人形はよき友でありよき妹であり、ときに指導者でもあった。絶対的に、こう! と言い切れる根拠はないが、彼女の持つ優しさや想像力、手先の器用さにいたるまで、その生成を促す一助となったはず。そして単純に、自分のあとをちょこちょことついてくる「ふたり」の姿は、それはそれは可愛らしいものだった──くすぐったいような顔で話す義父を眺めながら、なんだかすごくいいなと思ったのだった

 そして。同じく娘をもつ父親となったいま、はたして愛娘にはどんな女性に育ってほしいのか。答えはひとつしかない

「おれには父親が『いる』けど、『いなかった』から」
「…………うん」
「いろいろお手本にさせてもらってる。あの懐の深さには、まだまだ遠く及ばないけどな」
「…………」

 そんなこと、ないわよ。あえて言葉にせず蘭世は、俊の手を取った。並んで座っても十分に余裕のあるソファで、ふたりはそっと身を寄せ合う

「……いちおう確認だけど。これ、お義父さんに絶対言うなよ」
「えっ、どうして!? 教えたら、おとうさん絶対喜ぶのに」
「そういうことじゃない」
「えー、そうなの?? 残念~~~」

 蘭世の視線が、テーブルの上の携帯のあたりを漂っていることに気づき、俊は慌てて牽制する
 通話かメールか、どちらを想定していたのかは分からない。いずれにしても、秘するが花だ。もっともここで口止めしたところで、義父のいる場で今日の贈り物のラインナップが話題に上がる事態はきっと避け切れない。結局のところ、時間の問題なのだが……

 いっぽう蘭世は、興奮冷めやらぬ様子でしばらくジタバタしたあと、感慨深げに笑みを浮かべた。まさに、古くからの親友に思いがけず再会したような面差しだ

「……そうか、エミリーちゃんね……。今度、しっかり顔を見てこようかな」
「そういえば、ここに連れてはこなかったんだな」
「そうなのよ。あなたと結婚して家を出るとき、この子をわたしと思って可愛がるからって、引き取られたの。いまは、おとうさんとおかあさんの部屋にいるはずよ」
「へえ」

 ソファばかりでなく家についても、人形の配置に気を遣うような間取りを選んだつもりはなかったのに。現在に至るまで、他のぬいぐるみやその他雑貨を並べたエリアに件の人形が存在しないのが、ずっと気になっていた。真相はそういうことだったらしい。なるほど、結婚する娘のかわりに、思い出の詰まった人形を手元に残して……。……結婚…………

「……あ! うちもそうしましょうか!」
「!!」

 我ながら素敵過ぎる提案だ とでも言いたげな顔でこちらを向き直った蘭世が、ひゅっと息を呑むのが分かった
 やはりまだ、あの懐の深さには遠く遠く及ばない



→ おまけ(真壁くんと望里さん)