SUMMER BREEZE 01

 ここ数日の間、ココは真壁家に滞在していた

 『高気圧の影響で暖かい空気が流れ込み、記録的な高温の日が続くでしょう』そんな気象予報が的中したそうで、今年の夏はとにかく暑いと皆が口をそろえて言う。そして、こちらの世界とは異なり、常に穏やかな気候を保つ魔界で育ったココにとって、その暑さは非常に体にこたえた。外出するような気力は削がれ、蘭世とともに食料品の買い出しに出かけるのが精一杯だった。結果として、快適な温度に調えられた、ここ、リビングでほとんどの時間を過ごしている。もっとも、気力が削がれる本当の理由は、他にあるのだったが……

 そこに駆け込んできたのが、学校の補習を終えて帰ってきたばかりの愛良だ。首元を冷却シートで拭っている傍らに、氷いっぱいの麦茶を差し出してやると、愛良はそれを一気に飲み干した。随分とまあ、おいしそうに飲むものだ。触発されたココが自分の分も淹れて席に戻ると、愛良はにこにこしながらこう言った

「ココおねえちゃん、ケーキビュッフェ行かない?」

 いつものことながら、唐突な物言いだ。しかしながら、ケーキ。そしてビュッフェ。とんでもない誘惑だ。いつもなら、取るものもとりあえず飛びつくところなのだが

「うーん……そういう気分じゃないわあ。友達と行ってらっしゃいよ、あの、まゆげの子とか」

 いまはそんな気になれない。波に乗れない。その旨を正直に返すと、愛良は拍子抜けしたような顔でココを見た

「あれ? ケーキ嫌いだったっけ?」
「好きだけど。……いまそんなイベント行ったら、際限なく食べちゃってぶくぶくに太りそう」
「あっ、食欲はあるんだ。よかった」

 と、愛良は鞄からなにか小さな紙を取り出し、ひらひらと振った。件のビュッフェの招待チケットだというそれは、愛良本人ではなくその恋人・新庄彬水が、アルバイト先で譲り受けたものだという。一昨日と、昨日と、そして今日。愛良は補習と称して出かけていったが、今日に限ってはやけに帰りが遅いと思ったら、そういうわけだ。きっと帰りにどこかで待ち合わせでもして、よろしくやってきたのだろう

「レンタカー借りて、新庄さんの運転で。連れてってくれるって。ね、行こうよ。どうせヒマでしょ?」
「ヒマはヒマだけど……。でもこれ『お二人様まで』って書いてあるわよ? 愛良と新庄さんと、ふたりで行くなら、それでちょうどいいじゃないの」

 そんな、いまのココからしたら歯軋りするほど羨ましい機会だというのに、なぜ、わざわざおじゃま虫を引き入れようとするのか、ココには承服しかねた

「へ? だって……」
「? なによ」
「あっ、いや、ええと……。新庄さん、そこまで甘いもの好きじゃないから。でね、ココおねえちゃんとあたしが食べてる間、新庄さんは温泉とかサウナとか行ってるって。ビュッフェやってるホテルのすぐそばに、おなじ系列のスパエリアがあって、そこ、すごい評判いいらしいよ! あたしたちも食べたらそのあと合流するの。おいしいもの食べて、汗かいて、心も体もデトックス!『ととのう~』ってやつよ!」
「ふうん……」

 愛良はなぜか一瞬怯んだが、すぐさま怒涛の勢いで計画の詳細を説きはじめた

 チケットをつまむ愛良の指に隠れて、ココの位置からはよく見えなかったのだが、どうやらそれは、ビュッフェだけではなく、ビュッフェが開催されるホテルの施設についても自由に利用できるチケットらしい。そのうち『お二人様まで』なのはビュッフェのみで、併設されたスパ施設については、四人まで利用可とのこと
 四人。彬水と、愛良と、ココと──本来なら、もうひとりが同行可能
 もしここに彼が含まれるならば、きっとノリノリで参戦できたはずなのに、いま彼はここにいない

 卓は、夏休みに入ってからずっと、この家を離れていた。大学の先輩から紹介されたという、住み込みのリゾートバイトに遠征しているためだ

 卓の不在は、今日でちょうど二週間めになる。メールや電話で連絡を定期的に取り合ってはいるものの、顔を見れない・触れられないというのは、想像以上にココの心を蝕んでいた。愛良がまくしたてる魅惑の計画に、いまひとつ気乗りできない程度には

「悪いけど……」
「えっ! ウソでしょ!? おにいちゃん不足なのは分かるけど、ちょっとぼんやりし過ぎじゃない!?」
「…………」
「…………。うわあ……」

 愛良は呆れ気味にそう言うと、何も言い返さないココをしばらく眺め──結果、事態の深刻さを改めて感じ取ったようだった。大歓迎される見積もりでいたのであろう手元のチケットをテーブルに置き、重石がわりのTVリモコンを端に重ねて押さえながら続ける

「だから、止めたらって言ったのに。割がいいバイトなのは分かるけど、そこまでギチギチに詰めなくても、その……」

 「ふたり分の生活費は、なんとかなりそうなんでしょ?」続く愛良の言葉が、周りを見回してからの小声になったのは、それがまだ極秘の計画段階だからだ

 折を見て、卓はこの家を出る。通学時間短縮のためのひとり暮らしという名目ではあるが、ゆくゆくは……正確に言えば早々にも、ふたりで暮らすつもりでいる。そのための準備を着々と周到に進めていく卓が、割のいいアルバイトに飛びついた一因はそこにあり、実際、ココは卓本人からその旨の説明を受けていた。金に困っているわけではなく、ある程度の余裕を確保しておきたいということも含めて

「それは大丈夫だって言ってたけど……。わがまま言えないなって思ったのよ。いつまでも子どもみたいって、呆れられちゃうでしょ。『包容力ある彼女』でいたいの」
「へえ。そんな立派な志がおありなのに、早々にこんな魂が抜けたみたいになってたら、世話ないわっ」
「ちょっと! ストレートに図星ついてくるのやめてよ! …………はあ……」

 自分でついた溜息が思いのほか深いのがまた、ココを重く沈ませる
 愛良の口調は、正直キツいものがあるが、これくらい言われても仕方がない。すこし前──卓がアルバイトを決めてきたと知ったとき、愛良は、卓のことよりもむしろココを心配する言葉をかけてきたのだ。それを大人の対応で流しつつ、不在期間もうまくやり過ごせると踏んだ結果が、この体たらくなのだから

 ただし愛良は愛良で、はっきり言明し過ぎた自覚もあるらしい。肩をすくめつつ、ひりついた空気を戻そうとするのが分かった

「ごめん、傍からなら何でも言えるよね」
「いいのよ、ホントのことだし……。わたしこそ、みっともないわよね。ごめん」
「そんな凹まないでよ。ココおねえちゃんって、変なとこ真面目よね」
「…………。『変なとこ』は余計でしょ」
「ごめんて。でもまあ、行けばいろいろ一気に解消するでしょ。だってこのホテル、おにいちゃんのバイト先だし」
「え!?」
「うーん、やっぱり気づいてなかったかー」

 と、愛良が指さしたチケットをココは手に取り、まじまじと凝視する。光沢が上品な用紙で作られたそのチケットの下部に、箔押しのロゴマークとともに洒落たフォントで示されているのは、確かに、卓から聞いていた勤務先と同じホテル名だった。それを認めた瞬間、ココは弾かれたような勢いでその場に立ち上がった

「!! ……行く!!」
「そう来なくっちゃ! そしたらさっそく準備しよ? 新庄さんにも言っとくからね~」
「よろしくお伝えして! ありがとう愛良! あんたホントは、すごくいい子だったのねえ……!」

 『ホントは』は余計でしょ そう言った愛良とココは晴れやかに笑った



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