SUMMER BREEZE
挿話 水着を買ったときの話
そんなこんなで、近々、卓の勤務先であるリゾートホテルに突撃することが決定した。そしてココと愛良のふたりはいま、綿密な準備作業に取り掛かったところだった
真壁家に頻繁に訪れるようになったココのために、すこし前から、客間のひとつがほぼ専用の個室としてあてがわれていた。なので、こちらで使う雑貨や衣服は、あらかたこの部屋に備え置いている。そしてなぜか愛良も、自分の鞄と荷物をわざわざ自室からこの部屋に持ち込んで来た。日帰りの旅だとはいえ、挙げはじめればそれなりに荷物がある。互いに照合しながら詰めれば間違いないということらしい
実のところココは、卓の勤務先について、名称以外の情報をあまり詳しく知らされていなかった(そしてその名称すら、チケットを一見しただけではピンとこなかった)
「都会の喧騒から遠く離れた避暑地にあるホテル」「大学で懇意にしている先輩からの紹介、且つ、その先輩の実家が経営している」教えてもらった情報は、それだけ。そしてそれは愛良に対してもそうだったようで、先刻のプレゼンは、彬水との会話で初めて知った内容をそのまま横流ししたものだという
『敵を知るにはとにかく情報収集』とばかりに、パソコンを立ち上げ検索し始めた愛良が新たに発見したのが、温泉水プールなるものの存在だ。スパ施設と同様、件のチケットで楽しめるエリアに含まれているのだが、あえてそれに触れなかったのは、彬水が泳げない……泳ぐのが嫌いだからではないかという結論に達し、愛良はくすぐったいような苦笑のような、複雑な笑みを浮かべた
急にそんな大人びた表情をされると、自分だけが大人のつもりでいるこちらは驚かされる。肩をすくめつつココは、チェストから水着を取り出した。買ったものの使用していないその水着は、真新しいままだった
「そういえばココおねえちゃんって、泳げるようになったの?」
ココの手元を見ながら、ふと愛良が言った
「その水着買いに行ったとき、言ってたじゃない? おにいちゃんに泳ぎ教えてもらうって。なのに、いざ夏休みに入ったら、即、バイト直行って……意味わかんないよね」
「ああ、まあ……そうね。でも、バイトから帰ったら、プールにみっちり行こうって」
実は、卓がアルバイトに出発する直前、卓との間でも同じ話題が持ち上がった。『みんなが休みで、混み合う時期にわざわざ行かなくても、少なくとも、小・中・高校生の休みが終わるころを狙ったほうが、プールを広く使えるから、ちょっと待ってて』───なるほど、休暇中の面々で混み合う場所に勤めに行くだけあって、なかなかの説得力だと思ったのだが、愛良の感想は違ったらしい。それまでのウキウキとした表情から一変、あからさまにドン引きした目でココを見ている
「うわあ……そうやってさりげなく行動制限かけてったんだ。ホント、おにいちゃんって……。なんなのもう」
「え?」
「だってそれって、その水着の初おひろめは、自分が一緒のときまで待っとけってことでしょ? 最悪~」
「そ、そんなことはないと思うわよ。だいたい、おひろめも何も……試着したときに見たでしょ」
「えー……。ホントに大丈夫~? あとからおにいちゃんに怒られるのイヤだよ、あたし」
「だ、大丈夫よ……。多分……」
なるほど、そういう解釈もあり得るのか。というか、もしかしなくとも、そういう意味だったのか……? 言われたときの卓の笑顔にそぐわないとも思いつつ、愛良の解釈が、ココの胸の内でどんどん説得力を増していく。じゃあ、そもそもこの水着を買ったきっかけはどうであったか。ココは水着を手にしたまま、その時のことを思い起こした
◇
『そういえばさ、ココって、泳げんの?』
『…………』
それは唐突といえば唐突な問いかけだった。たしか、水泳の世界的な大会がテレビで中継されているのを、ふたりで見ていたときのことだ
ココにとって今のところ、スポーツは全般的に『見るもの』であって、『自分がするもの』ではない。そしてそれはあくまでも、ココが育ってきた環境においてそんな設備や習慣がなかったからという意味であり、できないという意味ではない。卓もそれを理解しているので、いままでそんな問いを投げかけられたことはなかった
しかし水泳の場合は。極端な話、池なり湖なり川なり、ある程度の量の水があれば体験できる。だからそんな話題になったのだろう。しかし、例のごとくその解答は『NO』だ。もっとも、できるのかどうか、ココ本人にも分からないというのが正直なところだった
『湖で、ドレスの裾をまくって、足をパチャパチャするくらいはあったけど……こう、ちゃんと泳いだ記憶はないのよねえ』
『あー、確かに……仮にも魔界の王女様が、その辺で泳ぐわけにもいかないのか。城にも、プール的なものはなかったよな……』
『そうなの。あ、でも、レオンは……一時期こっちに留学してたことがあったでしょ? ちょうど夏だったし、授業で泳いでるかもしれない。ちょっとうらやましいわ』
『へえ。じゃあ、おれが教えるわ』
『え! ほんとに?』
『うん』
それは素直に嬉しい提案だった。『見るもの』であるスポーツを卓と一緒に見るのは楽しいけれど、一緒にできれば、そのほうがきっと楽しい
『そうと決まれば、水着が要るな。もうちょっと経ったら店に並ぶだろうから、愛良と見に行ってこいよ』
『えっ? 卓が選んでくれるんじゃないの』
『おれが行っても、布の面積しか見ねえよ。あと、ほどき方』
◇
そういえば、あの時の卓の笑顔も、それはそれは爽やかなものだった。そしてうっすら気づき始めていたのだが、卓が爽やかすぎる笑顔のときは、たいていロクでもないことを口にしている。その真意を常にココが理解できているかはさておくとして
「…………」
一抹の不安がさらに膨らんでいくのを感じつつ、ココは、手にしていた水着を鞄へていねいに詰め入れた
一方、愛良はその間、ココの水着を買いに行った日のことを思い出していた
◇
『買い物、つきあって欲しいんだけど』
休日の朝、こちらの顔を見るなり卓が言い放ってきたのがこの台詞だ。珍しいことを言うものだと身構えながらよくよく尋ねると、買いたいのはココの水着だという
特に予定もなく、断る理由もないので、快く──ケーキセットを条件に、愛良はその申し出を了承する。そして、すこし遅い朝食を食べ終えたころ、タイミングよくココが家にやってきた。その流れを見るに、愛良が同行することは、依頼の形をとりながらも、ふたりの間ではすでに決定事項だったらしい
六月末の日曜日。本格的な夏を目前に控え、店頭に並ぶ水着の品揃えが充実する時期だ。確かに、水着を購入するにはよい頃合いだが、それにしても急な発案に思える
三人連れ立って店に向かう道すがらにそれを尋ねると、すこし前に放映されていた世界大会に触発され、卓がココに水泳を教えることになっていたのだという。『教えてもらう』=ココが泳げないということに一瞬驚いたが、そういえば魔界には海やプールらしきものがなかったなと思い直した。レオンが泳ぎ方すら知らなかったのもそういうわけだ
なるほど、それなら水着が必要だ。しかもはじめての水着ときた
どう見ても互いに想い合っているのに、なぜかすれ違いまくっていた卓とココのふたりが、最近ようやくくっついた。そんなふたりが、水泳を名目に仲良くデートと洒落込もうというのなら、愛良としても、その一助を担うことはやぶさかではない
しかしそれならば、水着を選ぶこの買い物も、デートがてらふたりで行ってくればいいのに。遠回しにそう言うと、ココの表情は一変、虚ろな目をして呟いた。『わたしひとりのセンスじゃ、心許ないから……』
ひとりではなくふたりで選べばいい そういう趣旨を述べたつもりだったのが、この反応。若干話が噛み合っていないのが気になるが、それだけこちらのセンスを買ってくれていると好意的に解釈することにした。女子の目線でしかわからないものも、確かにある
到着した店では、例にもれず各種水着がずらりと並んでいた。それらを見回し、たまに手に取ってココの前に掲げてみたりする。それをはじめは傍観していた卓も、次第に積極的に参戦しはじめた
意外だったのは、なぜかココからはセンスを疑われているようだった卓が、なかなか絶妙な路線を突いてきたことだ。恋人の立場から見えるものもまた違うということなのか
そうなると、こちらも妙に燃えてくる。昨今の流行を踏まえつつ、ココの魅力を最大限に引き出すには、どれが最適解なのか。目についた水着をとっかえひっかえ見比べつつ、終いには本人そっちのけで吟味し合っていた
そしてようやくふたりの合意に至った選ばれし候補とココを試着室に放り込み、着替えたココが再登場するのをしばし待つ。その間、話題の焦点は必然的に水着とモデルのふたつに絞られた
『……さっきの水着。普通のひとが着たら、絶対水着に負けると思うんだけど』
『まあ、そうかもな』
『ココおねえちゃん、魔界ではいつもドレスでしょ? もしかしたらこっちでもそうなのかもしれないけど、ドレスのときって、ビスチェ……インナーできっちり体を整えてるから……ココおねえちゃんって実は、めちゃくちゃスタイルいいんだよね』
『ああ~……あれ、ほどくの結構めんどくさいんだよな』
『え?』
それは想定外の回答だった。「ビスチェ」では卓には通じないだろうと、わざわざ言い換えたつもりだったのだが……通じた。のはいいのだが……ほどく とは?
いやいや、確かに紐が無駄に多いが、あれはむしろ、着けるときのほうが大変だと思うのだが……。もしかして自分は少数派なのだろうか……?
『おっ、試着できたっぽいぜ』
『え? ……あっ』
愛良が自己分析に悩み始めたことにはまったく気づかず、卓は、試着室のカーテンを細く開けて手招きするココのもとへ向かっていった
◇
その後、あわてて愛良もその後を追い、水着姿のココを検分しながらの再討論となり───結局、そのとき覚えた違和感は、うやむやになって終わったのだった
が、今にして思えば、ツッコミどころはそこではなかった
「生々しいわ!!!」
「えっ!? なに??」
不意に叫んだ愛良を、仰天したココが振り返る。床に腰を下ろし、鞄に荷詰めしていた手を止めてこちらを見ているココの姿勢は、相変わらず一本筋が通ったように美しかった
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