SUMMER BREEZE 03
卓がカウンターの配置につくと、その他複数の従業員・卓を含む第一グループと入れ替わりで、第二グループに組み込まれた従業員たちがようやく休憩室に入っていった。所定の時間帯よりもだいぶ遅い休憩開始となってしまっているが、それは、このホテルですこし前から開催されているイベントの影響だろう
即ち、超・有名パティシエの監修だとかいうケーキビュッフェ。そしてそのビュッフェ利用者および同行者には、卓の主な配置先であるスパエリアを開放している
ビュッフェの会場であるとなりの棟と、スパエリアのあるこちらの棟とを往来する客数は日々膨らむ一方で、急遽、配置人数を増やしたものの、焼け石に水。数時間ずつ配置時間をずらして組んだ三つのグループで大量の客を朝から捌き、気がつけばこの時間だった
世間的には夏休み。卓のような短期アルバイトを大量に投入して現場をようやく回している(ように見える)にも関わらず、そんな集客イベントをあえてこの時期に企画するというのは、卓としては正気の沙汰とは思えなかった。しかし、経営サイドとしては、いわゆる書き入れ時はもう少し先・社会人が休暇を取り始める時期であって、あくまで今は、次シーズンを見据えた梃入れをすべき時期であるらしい。まだ見ぬ『真の書き入れ時』を思うと、卓は背筋が凍る思いがする
ただし、こと、今日に関しては
寒気に加え、変な動機が収まらなかったのは、忙しさからではなく、昨晩届いたメールのせいだった。ココとの定時連絡のすぐ後に、愛良から、なぜか卓の配置時間を探るようなメール。深く考えずそれに応えたきっかり一時間後、高校の部活のコーチであり愛良の恋人であるらしい新庄彬水から、三人でこのホテルにやってくるというメール
あまりの不穏さに眠気も吹っ飛び、すぐさま各人に連絡を取ろうと試みたものの、そういう狙いだったのか何なのか、その後誰にも電波が繋がらないまま夜が更け、現在に至る
そしてたったいま、卓の配置されたカウンターで館内着を受け取ろうとしているこの人───彬水は、そういう悪ふざけの片棒を担ぐタイプではないと思っていたのだが……つきあう相手は選んだ方がいいんじゃないか? と言ってやりたい
「……どういうことですか」
「いや、まあ、なりゆきで」
「なりゆきって……。あっ、こっちは腕に巻いといてください」
「ああ、了解」
次いでロッカーキーを兼ねたICタグを渡すと、彬水はそれを腕にきっちりと締めた
距離的にもご予算的にも、このホテルは、『なりゆき』でやって来れるような範疇を超えている。そう思っていたのだが、それは卓のお財布事情においてのみであって、一般的にはそうでもなかったのか。それとも知らされていなかっただけで、実は彬水も金持ちの部類なのか。いずれにしても
「おれが言うのも何ですけど……あまりあいつに贅沢覚えさせないほうがいいですよ。……結構高いでしょ、ここ。おれなんて、逆立ちしても連れてこれないから、詳細は必要以上に言わないでおいたくらいなんです」
「馬鹿言うな、おれだってこんなとこ無理だ」
「えっ。じゃあ、なんで……」
「チケットもらった」
「ええ!? いや、それはそれで……あのチケットって確か、誰かにホイホイあげられるような値段じゃないはずですけど」
「らしいな。おれももらったあと調べて、腰抜かしそうになった」
本人はそうでもなくとも、周辺には富裕層が揃っているらしい。そしてその方々に愛良は気に入られているらしく、件のチケットはもともと、愛良に宛ててのいただきものだという。いわく、補習への慰労。……立場上、物申しにくいのだが……なんだそれは。補習は、試験の点数が悪いゆえの自業自得なのに、こんなとんでもない額のご褒美がもらえるなんて、随分なご身分だ
それはさておき。金額やら何やら以前にこのホテルは、二人で利用するにはいろいろ問題がある(贈り主としては二人での来訪を想定していたらしいのだが)。そのため当初彬水は、自分とではなく家族での利用を促したのだが、なんやかんやでココを誘う段取りとなったらしい。なぜ……
「愛良はずいぶん気にしてた。彼女のこと」
「……別に、何も問題起こしたりしてないですけど。ていうか、昨日も普通に連絡とってますし」
「だろうな。こんなこと言いつつ実のところはおれも詳しくは聞いてない。ちょっと前、それなりに迷惑かけられた分、高みの見物決めこもうかと思ったってのは正直あるけど」
「…………」
と、左頬をさすりながら彬水はにやにやと笑った
あのとき卓が殴ったのは右頬だ。それを指摘すると、あっ、こっちだったかと手を添え直した。なんとなく気づいていたが、愛良のせいばかりではなくこのひとはこのひとで、意外とタチが悪いのだった
「なんか、近くに名所があるとか騒いでたぞ」
「え?」
「パワースポットかどうとか……神社? だったかな」
「あー……」
そ知らぬふりをしつつ、僅かなヒントだけを落としていったりするのは、部活でのコーチングの延長なのかもしれない
そしてそのパワースポットとやらの存在は、その手の話に興味がない卓でも知っている。ホテルのそばの湾に面した神社の敷地内にあり、地域伝承として残る神々の恋物語にちなんで造られたというちょっとした名所だ。知っているといっても能動的な興味からではなく、訪れる客の八割強から問われるからと、ホテルからの、あるいは駅からの道程その他の諸情報を、勤務開始そうそう、しっかり叩き込まれた場所だからというだけなのだが
パワースポット。果たしてココは、そういうものを気にするタイプだっただろうか
卓からしたら、ココ自体がパワースポットのようなものなのだが
「ここのバイトの上がりって、何時くらいなんだ」
「えっ」
「住み込みとはいえ、24時間勤務じゃないだろ? 時間とれるようなら話しとけば。おれたちの帰りは、愛良の門限に間に合えばいいわけだし」
「はあ……」
「……忙しいとこ、邪魔して悪かったな」
と、彬水は後ろ手に手を振り、大浴場へと向かっていった
いずれにしても、同じ場所に来ているのであれば放っておくつもりは毛頭ない
かと言って、尻尾を振り振りダッシュで向かうところを見られるのも気恥ずかしい
気のない返事を装いながら、卓は、寄せる客の波と休憩明けすぐの自分が穴を開けるタイミングとがうまく噛み合う瞬間を、じっくり見極めることにした
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