SUMMER BREEZE 04

 そしてココと愛良のふたりは。ケーキを堪能するのもそこそこに───といってもだいぶ食べたのだが───、卓が勤務しているスパエリアへと向かっていた

 愛良の入念な諜報活動により、この日の卓の詳細な配置情報は把握済みだった。総合案内(出入口)、貴重品預かり、館内着受け渡し……等々、エリア内に各種用途別で設置されたカウンターを、時間帯ごとに移動しながらマルチに担当しているらしい。いま卓が立っているのは館内着受け渡しカウンター。愛良と一緒にココは、エリア入口近くに設えられたソファに腰掛け、その姿をこっそり覗き見る

 つい先ほど入館手続きを済ませたばかりのカウンターから、スタッフがこちらをちらりと一瞥したが、ソファに座っているのはココと愛良だけではない。ひと休み、あるいは誰かと待ち合わせでもしているのか、スマホ片手に座っている客も多く見られる。そのためか、そのスタッフは、鞄を掲げたりしながらなんとなく身を潜めるそぶりをするふたりをさほど気に留めるようでもなく、ほかの客の案内業務を再開した

「うわあ。おにいちゃん、よそゆきの顔だあ」

 愛良が暢気な声を上げつつ見入る先には、爽やかな笑みをたたえながら客を捌く卓の姿がある
 いつだったかのメールで言っていた『バイトだから、社員の穴埋めでいろいろやらされるんだよな』という言葉は、本人としては謙遜のつもりだったのかもしれない。しかし、こうしてしばらく眺めていても、ココには、卓と、社員と思しき者との働きぶりの違いがよく分からなかった。持ち前の器用さが功を奏してなのか、卓はいろいろ卒なくこなしているように見える
 
「……ねえココおねえちゃん、そろそろあっち行ってみようよ」
「う、うん……」

 そして、感慨深く眺めているだけのココに、愛良は早々に痺れを切らし、肩をツンツンとつついてきた
 ケーキでみちみちに満たされた腹も大分こなれてきて、身体的には、温泉だのサウナだのにいつ突入してもいいタイミングである。しかし、それでもココはその一歩を踏み出すことを躊躇ってしまう

 前日までは、その瞬間をすごく楽しみにしていたのだ
 遠くからその仕事ぶりを眺めつつ、然るべきときに、あくまで一般の客として突入する。そして、動揺するであろう卓に素知らぬ顔を返しつつ、然るべきサービスを受ける──そんな一連の流れを想像するだけで、ワクワクして、眠れないほどだった。けれど

 いまここに立ってみて、改めて思い至った
 卓は、いわゆる「卓の世界」にココが足を踏み入れることを、嫌っているのではなかったか

 卓しか知らない、卓しかいらない そう思っていたころとは違う
 ココが、卓の働く姿やその内容、場所、すなわち卓の世界を形作るものに興味を持ったこと それ自体は許される、もしかしたら好ましくすら思ってくれるかもしれない

 だからといって、いまこうして実際に見に来てしまったことは、それを邪魔することにしかならない
 ここは、卓が、きちんと対価をもらって働いている、きちんとしたお仕事の場だ。ましてや、公私ともにお世話になっている先輩からの紹介だともいっていた
 そこに遊び半分・物見遊山で介入するだなんて、真面目に働いている卓に対してあまりに失礼な振る舞いになってしまうのではないか

 会いたい気持ちが先走りすぎて、そんな判断すらできなくなっていた
 こんなんじゃ駄目だ、愛想を尽かされてもしかたがない──尽かされたく、ない

「あの……。ごめん愛良、一生のお願い。ひとりで行ってきてくれない?」
「は?」

 おずおずとそう切り出すと、愛良は、信じられない物を見るような顔でココを見た

「なんで? えっ、もしかして具合悪い? お腹痛くなった?」
「痛くないけど……なんかちょっと。その間、わたしあっちで休憩してるから」
「ええ~!? ここまで来といてなに言ってんの! 直接会うのは久しぶりなんだし、つもる話もあるでしょうよ」
「で、でもほら……卓……は、働いてるんだし。やっぱり、おしゃべりは良くないわ」

 立ち上がり、ココの腕を引く愛良の力と、ソファに下ろしたままの腰に全体重をかけるココと。ふたりのこんなやりとりの間にも、付近をスタッフが往復する。その耳に卓の名が届いてしまうのはいただけない。自然とそこだけ小声になった

「いやいやいや、そこまで長話するわけじゃないし……。あたしだけ行くって、それ、なんか意味ある?」
「そ、それはそうだけど」
「そもそも、おにいちゃんだってあたしたちがこのホテルに来てること知ってるんだし、だまって帰るわけにもいかないでしょ。……あっ」
「えっ」

 そして卓のほうはといえば。一瞬、目を離した隙に、その場から離れようとしていた。カウンターにやってきた男性になにやら呼び出されたらしい。ふたり連れ立って歩いていく姿が見える

 その男性は、ココと愛良がいるエリア入り口付近を通った気配がなかった。というか、気がついたらカウンターの内部に入り込んでいた
 しかし、身につけているのはスタッフお揃いの制服ではなく、私服と思われるラフな服装
 なんだかちぐはぐな印象だが、卓と親しげに何かを話している以上、一般客ではなくホテルの関係者なのだろう

 また、事前収集したデータ上では、卓の休憩時間はまだしばらく後───夜までがっつり勤務する時間帯のはずだ。ということはきっと、正式な仕事の一環として、たとえば急な配置変更などの要因で、部外者には分からないところへ

「行っちゃった……」

 ……ということなのだろう。嘆く愛良のとなりで卓の後姿を見送りながら、ココはほっと息をついた
 しかし当然のことながら、ほっとしているのはココだけだ

「ココおねえちゃ~~ん……」
「ご、ごめん!」

 非難の色を隠さない愛良の眼差しに、ココはただただ謝るしかない。愛良としても、いろいろお膳立てした前提があり、現状に物申したいところではあるが、最終的には本人(同士)の意思に従うことだと思っており───そう思ってくれているのが分かっているからこそ、ココも謝ることしかできなくなってしまったのだったが

「急に……怖くなっちゃったのよ。わたし、卓の邪魔ばっかりしてるかも? って」
「邪魔? ……そりゃ、ぜんぜん邪魔にならないとは言わないけど、ちょっと喋るくらいなら」
「ううん、いまの、仕事の話だけじゃなく……全般的に」
「……?? どういうこと?」

 腕をつかむ力を緩めながら、愛良はココのとなりに再び腰を下ろした

 思えば、愛良は、ココが卓と今のような関係に落ち着いてからというもの、いつもココの味方をしてくれている。今回のアルバイトの件に関しても、愛良は卓に対して、なぜこの時期──晴れて恋人同士となって、はじめて後先考えず遊びに繰り出せる夏休み──に、わざわざ遠征などするのかとかなり怒っていた

 確かに、そこまで条件がそろっている以上、夏休みすべてをふたりのために費やしてもバチは当たらない そう思わないこともない。けれど

 卓には卓の世界がある。それがどういうことなのか最近になってようやくわかってきた

 ココのもつ世界とは違う。ココはいまだそのほとんどの時間を魔界で過ごし、魔界の身分制度において、圧倒的上位である王族としての恩恵を、あますところなく享受している身。なにかトラブルが起こっても、父たる王の、ひいてはココの一存で、すべてコントロールできる。対して、卓の世界は比べようもないほど広く、複雑な、もちつもたれつの縁の絡み合いで成り立っている

 少し前までココは、卓にとっては自分がすべてではないこと・自分以外の大事ななにかがあることに苛立っていた
 いまは、卓にとっての大事ななにかを、自分が壊してしまいかねないことを恐れている

「それはちょっと気にし過ぎというか……なんでそんなに遠慮してるの? ココおねえちゃんは、おにいちゃんの彼女じゃない。最優先されてあたりまえでしょ」
「……うん。それは正直そう思ってるの。でも、最優先してくれることも分かってるから、ここでのバイトについて、なにも言えなかったのよね……」
「…………」
「それに、まとまったお金を用意しておきたいってこと自体、回りまわってわたしのためなんだもの」
「そんな……!」

 折を見て家を出て、将来的にはふたりで暮らす。こう言い出したのは卓だが、それはふたりの意思だ
 そして、言うだけなら簡単だが、それには先立つものが要る。互いの両親から、まるまる援助を受けることは良しとせず、一方、ココが人間界で働くというのは現実的ではない。結果として、資金的な負担はすべて卓の肩にのしかかることになる

 また、「後先考えず遊びに繰り出せる夏休み」───それはなにも、常にふたりで過ごさなければいけないというわけではない。受験、卒業、入学、新生活。これら日々の煩忙から解放され、ようやく卓が心身ともに休める時間でもある
 本来だったら、夏休みを自由気ままに過ごすところを、無理させているんじゃないか。ココの道を開いてくれた卓の道を狭めているんじゃないか、とすら思ってしまうのだ

 大勢の客が往来するフロアのざわめきの中、反論する術を失ってしまった愛良と、俯き、黙りこくってしまったココが腰かける一角だけが、しんと静まり返る
 そこに割って入るように、遠くからココを呼ぶ声が響いた

「ココ!」
「!?」

 持ち主を間違えようのないその声に、息を呑んだココが顔を上げると、こちらに向かって駆けてくる卓の姿が見えた。───なぜ

「こんなとこにいたのかよ……ああ、まあそれはいいや。ところでさ、今日……」

 硬直したままのココのもとへ駆け寄り、開口一番、この言葉
 ということは、卓は、ココと愛良をずっと探していたということになる
 そしてそれは、こちらの姿を認めるやいなや、息せき切って駆けてくるほど迷惑なことだった……?

 卓は一見、腹を立てているようには見えなかった。実際に会ったのは久しぶりとはいえ、いつもどおりの穏やかな態度・口調だ
 だがそれは当たり前。ここは卓の職場・卓の世界なのだから。───こちらも、それを邪魔しちゃ駄目なのだ。とにかく、謝らなくては

「ごめんなさい!」
「え?」

 いまのココにできることは、いわゆる「物わかりのいい」彼女でいること ただそれだけ。バイトが終わるまであとほんの二週間。そうしたらきっとまた、楽しい日々が戻って来るのだから
 ぐっと頭を下げ───下げたままココは卓の顔を見ることなく、一気にまくし立てる

「び、びっくりしたでしょ? ごめんね。突然、黙って来ちゃって……邪魔しちゃって。バイト終わって帰ってくるの、待ってるね」
「へ? 邪魔って……ココ!?」
「ちょっ……。うそでしょ、ココおねえちゃん!?」

 そしてそのまま踵を返し、ふたりが止める声にもかまわずココは、スパエリアから逃げ出した



→ 05