「今度は開陸が新庄コーチになっちまったんだって───?」
めいっぱいの心配といくばくかの好奇心とを合わせた表情を浮かべながら
卓とココの二人が、久方ぶりに真壁家を訪れたのは
それから一週間後のことだった
水と湯と、そして自分、その関連性までは判らないまでも
回数を重ねた結果、自分の体が変化する要因は少なくともそのふたつであることが判った
それに伴い、「慣れ」なのかどうなのか(慣れたくない)
初めてのときこそ頭が割れそうなほど響いた痛みも、だんだんと薄れていき
何も判らなかった頃よりも、不安はあれど、確実に危機感が薄れてきてもいた
「って…。あれ、ちっちゃいじゃん」
「……悪かったな……てか、何で知ってるんだよ……」
開陸の姿を見るなり、卓の表情は拍子抜けしたものへと変化する
憮然として答える開陸の背後から、愛良がひょっこりと顔を出す
「あっ、おにいちゃん、おかえり───。ココおねえちゃんも♪」
「!! おまえか!!」
「そうそう。こいつが今日電話掛けてくるなり教えてくれた」
「なん………っ!! おい、愛良っっ!!」
「ただいま、愛良。おばさまは??」
「ああ、はりきってごはんの支度してる───。久しぶりに全員揃ってのごはんだもんねっ」
「や…やだ、じゃあ早くお手伝いに行かなきゃ……」
「あ───あ、およめさんは大変だ───」
「おい愛良、聞いてんのかよっ! おまえ面白がるのも大概に……」
そんな、玄関先での微妙にかみ合っていない会話を打ち切ったのは
蘭世の台詞だった
「な〜に言ってるのっ。ココちゃんはお腹に赤ちゃんがいるんだから
あなたが手伝ってちょうだい、愛良」
───と、いうわけで
今真壁家のリビングにいるのは開陸・卓・ココの三人
キッチンに連行された愛良は、ぶうぶう言いながらもそれなりに
滞りなく蘭世の手伝いをしているようで
先ほどからもれてきているおいしそうな匂いが
そろそろほどよく空いてきたお腹のあたりを刺激する
「水をかぶるとコーチ、お湯をかぶると戻る、ねえ………」
「そーいうこと」
「へえ……」
まじまじと、上から下まで開陸を眺め
二人はお互いの顔を見合わせる
「これまでに、そんなことって何度かあったの?」
「バカ。それまでに何回もこんなことがあったら、周りが黙ってねえだろ」
「そりゃ、そうね……。あ、でも
大きくなったりちっちゃくなったり、とまではいかなくとも
なんか、水に入ると血が騒ぐ、とか…」
「どんな血だよ……」
「ものの例えよっ」
「…………(ええと…)………」
当の本人を尻目に、やいのやいのと言い合う二人
そういえば、以前にもこんなふうに三人で話したことがあった
とはいえあのときは、もうひとりが、文字通り“とりつくしまのない状態”だったが故に
結果的に三人になってしまっただけなのであるが
あのときの愛良は、夜中ずっと泣きはらしたかのような真っ赤な目をしていて
開陸の顔を見るなり
『 』
───あれ?
自分が今の姿に戻ったとき
昔の姿に変化することが判ったとき
そのどちらにおいても、愛良が口にした言葉は
例えその言い回しが微妙に異なってはいても
「……言ってること、変わってねえじゃん……」
「───え?」
「あ」
自分以外の者に聴こえるか聴こえないか程度の、小さな呟きだったつもりが
思いのほか大きな声で口に出していたらしい
ああでもないこうでもないと、なかば言い争いになっていた卓とココのふたりは
怪訝そうな顔でこちらを振り返る
「いや……悪い、なんでも……」
「『なんでもない』って顔じゃねえだろ」
「……………」
「開陸……」
「『言ってること』って、なんのことだよ」
「………(しっかり聴こえてんじゃねえか)………」
ふう、とため息をつく
いつもだったら、絶対にこんな愚痴めいた女々しいことなど口にしない筈なのに
今日はなぜか、するりと
「…なんでこんな体になっちまったのかも、よくわかんないんだけどさ」
「ん?」
「……本当に必要なのは、どっちのおれ、なのかな……」
「───え」
「………へへ……
なんだか、そのへんもよくわかんなくなっちまって、さ……」
「開───」
抽象的な言葉を選んでいるとはいえ、その意味するところなど簡単に読み取れてしまい
自嘲気味に笑う開陸に、なんと声を掛けてよいものか、卓とココの二人は声を詰まらせる
しん、とまさに水を打ったように静まり返るその場の空気。それを突き抜けるかのように、脳天気な愛良の声が響く
「ワ───イ、ひと休みっと♪」
家族全員分のグラスと水差しをテーブルに降ろし、ぽすんとソファに腰掛ける
気がつけば時計もいい時間を指しており、そろそろ俊がジムから戻るころ
あとは仕上げだけだから、と、ようやく手伝いから解放されてきたというわけである
「あ…ああ、お疲れさま、愛良…」
「…かえって邪魔になってたりしなきゃいいけどな」
「失礼ねっ! ちゃ〜んとしっかりきっちり働きましたよーだ」
「そうお? わたしも相当ひどかったけど、愛良だって家事は……」
「うん……おまえもすごかったよな……」
「なんですって!?」
「あ〜、ココおねえちゃんほどじゃないなあ」
「や、おまえもかなりのモンだから」
「…………!!」
「………」
日頃口数の多い方ではなく、ここ最近はあまり愛良と絡もうとしなかった卓までもが
会話にまざり、その場の空気を変えようとする
ちらりちらりと横目ですばやくこちらを伺う様子からもそれは判るし
その気持ちはとてもありがたいことだ そう思いながらも
口に出してしまったことで余計に沈んでしまったということなのか
口をついて出るほど沈んでいたということなのか
うまくその輪の中に溶け込むことができぬまま、曖昧な微笑みを浮かべ開陸はそのやりとりを眺めていた
そんな開陸の様子に気づいてなのかどうなのか、ふと思い出したように愛良が水を向ける
「開陸……どした? ちょっと元気ないみたい」
「え? あ……。別に……」
「そう? ……あっ、ねえねえおにいちゃん、おねえちゃん」
「ん?」
他でもない愛良が、開陸を気遣うそぶりを見せたことに
卓とココのふたりがほっと安堵したのもつかの間のことだった
「聞いた? 開陸が新庄さんになっちゃう理由!
水をかぶると新庄さん、お湯をかけると開陸に戻るの! お手軽でしょ!?」
「!!」
卓とココのふたりはぎょっとして、開陸と愛良とを交互に見やる
「ちょ……ちょっと愛良……」
「お手軽って……おまえ、な……」
「へ? なに??」
「…………」
───ああ、やっぱり
不思議と、痛みはなかった
ただ
胸の奥でかしゃりと、なにかが砕けるような音が聴こえた気がした
「───さっきの話だけど」
「え?」
開陸はゆらりと立ち上がり、いつになくおどおどしたままの卓を見下ろす
自分のとなり・卓とココの真向かいに座る愛良のことを見ることはできなかった
「…………こういうこと、だよ」
「え? おい、開陸───」
言うが早いか、テーブルの上の水差しを掴む
たくさんの氷が浮かぶ水。それは自分の手の動きに逆らうことなく揺れて
頭上に掲げ、不自然なまでに傾けた水差しの口から勢い良く零れ落ちる
ぱしゃん
その水音のあとは、もうなにも聴こえない
「本当に、大きく、なった………」
───誰だ?
「ね? すごいでしょ?」
───これは、愛良の声、か………
あ、さっきの声は愛良の従姉妹とかいう女……かな
「………すごいって…大丈夫なのか? なんだかさっき、こいつ様子がおかしかったぜ」
───この声は、真壁か? ……いや、ていうか
「『こいつ』って誰のことだ、真壁……」
「うわ!?」
唐突に肩に手を置かれ、ある意味懐かしいオーラを感じた卓は思わず飛び上がる
「コ…コーチ!? す、すみませんっ! 思わず……!」
「あ、いや、別にいいけど……」
「やだ、おにいちゃんってば、慌てすぎ〜」
「愛良っっ! おまえ、中身までコーチに戻るんだったらそう言っとけよっっ!!」
「へ? 中身は開陸のままよ?」
「───開陸…?」
いち早く異常を察したココが、彼の目の前でひらひらと手を振ってみせる
確信はないまでも、本能的にそれを感じとった卓は、愛良に向かって怒鳴りつける
「何言ってんだおまえ、これ…じゃなかった、この人、コーチだぞ!! まるっきり!!」
「え!?」
血相を変えて愛良が振り返る
───だって、昨日までは───
「開陸………?」
思わずシャツの裾を掴んでしまった愛良の手を不思議そうに見ながら
彼はおもむろに口を開く
「『開陸』って……誰だ、それ?
それよりおれ、どうしておまえんちに居るんだ?」
舞台は暗転───
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