思いのほか長引いてしまった委員会から解放されたころにはもう
空は夕焼けを通り越し、すでに暗くなり始めており
座りっぱなしで凝り固まったかのような体と心とを解放すべく、蘭世は軽く伸びをした
もう少しで、文化祭の季節
蘭世が今まで拘束されていたのは、まさしくその、文化祭実行委員会
持ち前の“ひとのいやがることをすすんでしましょう”精神で引き受けてしまったものの
部活の時間にここまで食い込むとは思わなかったというのが正直なところ
もっと正確に言えば、ちょっともったいなかったかなと思う
部活に出ないということは即ち、俊との共有の時間が減るということなのだから
会えないからどうこう、例えば曜子との仲を疑うとか、その手の不安はまったくない
単純に、さみしい。ただそれだけ
部活以外で、充分すぎるくらい会っているというのに
どんどん貪欲になっていく自分がわかる
そのくせ、昼間会えない分、夜、部屋で会いたいなどとねだる勇気もないというのだから
我ながら勝手なものだ
軽く自己嫌悪に陥りつつ、未練がましくも部室に目をやると
小窓から明かりがもれているのが見てとれた
皆、とっくに帰っていてもおかしくないはずの時間帯だというのに
「………………!」
単なる消し忘れなどでなければ。こんな遅くまで残っている者など、ひとりしかいない
その“ひとり”を思うだけで、一気に心臓が高鳴った
自分にしっぽが生えてなくてよかった。もし生えていたりしたら
千切れそうなほど振っているのがばれてしまう
誰かのうっかりミスの可能性など、頭の片隅のさらに奥に追いやってしまい
蘭世は息せき切って部室へと駆け込んだ
───駆け込んだ瞬間、蘭世は、文字通り目が点になった
「え……………」
「ん?」
勢いよく開いたドアを振り返ったのは、やはりその“ひとり”
それはそれで嬉しいことなのだけれど、なぜか彼は上半身素っ裸+制服のズボンという姿で
サンドバッグの隣に立ち、濡れた頭をタオルでがしがしと拭っているところだった
心の準備もないままに、容赦なく現れたそんなあられもない姿に
よろりとよろけ、ドアの縁に肩をぶつけた蘭世の心境に、気づいているのかいないのか
当の本人は暢気なもので、労うように微笑んだ
「やっと終わったのか。だいぶかかったな」
「……っな、なんで…………」
先刻までとはまた違った意味で心臓がバクバクと打ち、言葉がうまく繋がらない
あらかた頭を拭い終わったタオルを持ち替え、背中をぱしぱしと叩きながら
俊はちょっぴりずれた答えを返す
「なんでって……もうちょっと汗かいていきたかったから」
「じゃ、なくて……」
「? ああ、このカッコのほうか。誰もいねえし、まあいっか、と……。あのシャワー室、暑いんだよな」
苦笑しながら俊はタオルを置き、代わりに、畳んであったシャツに手を伸ばす
バラック小屋からアロンが改築したこの部室は、使い勝手は申し分ないものの
唯一、シャワー室の構造だけは難ありで、更衣部分に熱気と湿気がこもってしまい
折角シャワーを浴びても却って更に汗だくになってしまうのだと
そういえば以前から愚痴をこぼしていたような気がする
(マネージャーの蘭世は、シャワー室自体使用したことがないから判らない)
とはいえ、そんな前置きと、いま目の前にある現実の姿とは話が別だ
いったいどこに目をやればいいものやら、さっぱり判らない
判らないと思いつつ、けれどその目はしっかりとその姿を追ってしまう
固く引き締まり、筋肉の在り処がすぐ判る、胸元から腹にかけてのライン
下手すれば、自分の脚くらいはあるんじゃないかというくらい、太く逞しい腕
ぱたぱたとシャツのしわを伸ばし、袖へとそれを通しながら俊は、出口に立ち尽くす蘭世の元へと歩み寄り
蘭世越しに、開きっぱなしのドアノブへ手を掛けた
その胸が、至近距離・視界いっぱいに広がる
「…………!!」
「まあ、丁度よかった。もうちょっと待てるか? おれも今から帰るから………」
「い、いやあああああっっ!!」
「うわ!?」
反射的に蘭世は半狂乱な叫び声を上げ、むちゃくちゃに腕を振り回し後じさる
鞄を取り落とさなかったのが不思議なくらいだ
そして俊は、なにごとかと目を白黒させながら、その蘭世を凝視した
「な……なんて声出してんだ、バカ」
「!! ご、ごめんなさ……っっ! あ、ああああの、今日はちょっと急ぐから、帰るねっっ」
「え!? お、おい……」
やっとの思いでまくし立てて蘭世は、俊の返事も待たず、その場から逃げるように猛ダッシュした
「はあ、はあっ、はあ…………っっ」
家までの道のりを、ただめいっぱい走って走って───途中、さすがに息切れしてしまい
蘭世は電柱に手をつきつつ、そのままずるずると蹲った
道端で座り込むだなんて、傍から見れば不可解なものに思われるかもしれないけれど
そんなことを気にする余裕などない
「…………………はあ………」
時間にすればほんの一瞬のことなのに、それは蘭世の目と心とに一気に焼きつけられた
羽織っただけの白いシャツ。その合わせ目から、日に焼けた浅黒い肌が覗く
その対比がとても眩しく、美しく、眩暈がしそうだった
自分の───というよりは女性のそれとは全く違う、しなやかな肉体が放つ光は
強烈なまでに力強く、───ある意味、官能的
中学生のころ海で見た水着姿とは全く異なる、その印象に気づいてしまったのは
あのころとは全く異なる彼の体つきのせいだけではなく
きっと、ずっと近くなった彼と自分との距離と
そして、あのころとは異なる自分のせい
ぶるぶるとかぶりを振ってみても、その姿が消えることはなく
むしろ、意識すればするほどあざやかに蘇ってくる
「………………っ………。ど……、うし、よう………っっ」
しゅうっと湯気が立ちのぼりそうなほど熱い頬を押さえつつ、蘭世は頭を抱えた
残念だったはずの長引く委員会は、今にして思えば、ある意味良かったのかもしれない
少なくともこのままでは、彼の顔をまっすぐに見ることは絶対に、できない
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