・千重:幾重にも重なっている事。


* * * * *







「…………大人になったなあ」

ココが風と共に去っていったドアのあたりをしばらく眺めていた鈴世は
ふと、誰にあてるでもなくぽつりと呟いた
お茶を淹れるべきか否か、一瞬迷いを見せたものの結局やめ、なるみはその隣に進みながら相槌を打つ

「ココちゃん……キレイになった……わよね」
「そうだね……」
「………………」
「ん?」

恋をすると、女の子はナントカ。それは本当なんだなと再確認させられつつ
軽い気持ちで返した答えを最後に、黙り込んでしまったなるみの顔を、慌てて鈴世は覗き込む
ぽすんとソファに腰を下ろし、なにやら神妙な面持ちでこちらを見据える視線に
鈴世は一瞬たじろぎながらも、一向に思い浮かばないその表情の原因を問いかける

「なるみ? どうし……」
「惜しいことしたって……思ってる?」
「え!?」

──────“惜しいこと”この話の文脈からいって、それはつまり

いつになく素っ頓狂な声を上げてしまったと、思う。けれど、それくらいなるみの言葉は、意表をつくものだった
今も昔も心で体で、何度も何度も伝え、確かめ合った。重なり合う互いの想いを。なのにそれを覆すようなことを
改めて確認しなければいけないことなのだろうかと思いつつ
今、改めて確認したくなってしまったのであろう心境を思うと、なんだか無性に彼女が愛おしく思えてきてしまい
結果、改めて言葉で示す───その前に、体で示してしまった。がらあきのおでこに唇で触れる

「…………あ」
「ああもう、かわいいなあっっ」

唇が離れた瞬間、おでこに手をやり頬を染めるなるみを、そればかりじゃ飽き足らず、鈴世はぎゅっと抱きしめた
今度はほんの少し強く耳朶に唇を当て、そのまま耳元でおもむろに囁く

「あのね、ぼくは本命チョコはひとつしか受け取らないよ。後にも先にも」
「う…………」
「今年はなにをもらえるのかな。ぼくの本命さんからは」
「……っ……ケーキ……焼いたの。一緒に、食べましょう……?」
「…………。もうちょっと経ってからね……」

意図的ではないものの、必然的に耳にかかり続ける息に反応し、鈴世のセーターをぎゅっと掴んだ彼女はやっぱり可愛らしくて
“その前になるみを食べたいな”などと、野暮ったい台詞をついうっかり吐きそうになってしまったことは
彼女に対しては何でも話すのがモットーである鈴世の、今のところ唯一のトップ・シークレット



→ 懸想だつ春