・綻ぶ:縫い目が解ける。蕾が少し開く。さえずる。露見する。
* * * * *
──────とはいえ、これからどうしたものか
困ったときの想いヶ池。例のごとく今も足を運んでしまった
けれど、某近未来製猫型ロボットの繰り出す桃色のドア同様
思った場所・思い人のもとへ飛ぶことはできても、過去や未来へ飛ぶことはできないということを
水面を覗き込んでみてようやく俊は思い出した
あのころの彼女の姿をどんなに思い浮かべてみても、そろそろ息子を寝かしつけたころであろう
今の彼女の目の前に降りてしまうのがオチだ
やはりここは、江藤家へ立ち寄るべきだろうか───けれど、地下室の扉で設定できるのは
確か、おおまかな年代のみであったような気がする
また、これから自分が何をしようとしているのかを、彼女に微塵でも悟られてしまう可能性が高い
あの家を利用するのは避けたかった
かといって、このままおとなしく帰路に着くのもはばかられる
悶々としながらただ池のほとりに突っ立っていた俊の背中に、ほどなくして
しわがれた声がかけられた
「これはこれは王子───いえ、俊殿。いかがなされた
先ほど奥方殿とも、むこうへお帰りになられるところをすれ違うたのじゃが」
「メヴィウス…………」
振り返ったその先に立っていたのは、先王───父の代よりさらに前からこの世界に根付いた大魔女
いったい何年生きているのか、その風貌からはおおよそ見当もつかず
想いヶ池と同様、何かの大事には何をさておき頼りにされ、その意を問われる知恵袋
彼女であれば、その道を示してくれるのではないだろうか
意を決し、俊はつとめて用件のみを切り出す
「魔界には……過去へ行く方法は、ないのだろうか」
「ほう?」
「江藤家の地下室にある、過去への扉のような……魔界にもあるのだろう? その……オリジナルのものが」
唐突といえば唐突な申し出に、一瞬意外そうな表情をしたかのように見えたが
深い皺の刻まれたその顔からは、微細な変化は読み取れない
俊は正直この、自分以上のポーカーフェイスの持ち主が苦手だった
何もかも見通されているかのような感覚に陥るのだ。たとえばこんな言葉ひとつで
「…………ずいぶん、焦っておいでのようすじゃの
わしに背後をとられてもなお、なにやらしばらくぶつぶつ言っておった。らしくもない」
「う…………」
「あなた様がうろたえる姿というものを見るのは、これで二度目じゃ
前のあれは……はて、誰を夢に閉じ込めてしまった時であったか」
「…………………っっ」
こう、ちくりちくりと小出しで刺すような物言いがムカつくのだ
そして、それに言い返せないでいるせいなのかどうなのか
結局は、なんだか色々とにじみ出てしまっているらしい自分自身にも
「話を戻して……過去への扉じゃが、わしの家にある
……一応、それを使うべきは大事あるときのみという、固〜い掟があるのじゃが」
「!!」
“固〜い”の部分を、メヴィウスは妙に強調した
とはいえこればかりは。たとえバレバレだったとしても、先のやりとりの直後である今
自らの口から言葉にするのははばかられた
王=アロンと通じ、その能力を王家のため魔界のため遺憾なく発揮しているようで
たまに面白がっているときもあるということを知った今
彼女は、最大の味方にもなりえ、最大の敵にもなりえることを知ってしまったから
かといって、指摘どおり焦っている今の状態では、適当な嘘を思いつけるわけもなく
ただただ言いよどむばかりの俊をちろりと一瞥し、メヴィウスは笑った(ように見えた)
「……まあ、年寄りというものはどんどん忘れていく生き物じゃ
ここでわしにその理由を言うても伏せても、すぐさま忘却の彼方ですからの。結果は同じこと」
「メヴィウス……?」
「生憎とわしは、この辺でしばらく薬草を摘んでいくつもりですのじゃ
俊殿のこと、扉を見れば自然と術も見て取れよう。フフフ」
「………………」
何年も前の自分の失態をへろりともらした口と同じ口で、やっぱりへろりとそう言って
メヴィウスは悠々と去っていってしまった
「…………恩に着る」
その背中に小さく一礼し、俊はメヴィウスの家を目指して駆け出した
鬱蒼とした森の奥、ひっそりと佇むそこがメヴィウスの家
ところ狭しとごろごろ転がる、なにやら不思議な色をした液体の潜む瓶やいかにもな陣を描く札を避けながら
さらに奥へ進むと、目的の扉はすぐに見つかった
妙に厳かなその雰囲気に、俊は思わず息を呑む
中央に掲げられた大きな時計───いや、よく見るとそれは年月をも司っているようで
その針を、望むその日にあわせる様子。──────彼女が豹変してしまった、クリスマスイブに
カチカチと音を響かせながら、針の示した位置を今いちど確かめて
俊は勢いよく、その扉の向こうへ踏み込んだ
──────そして扉は時を返す
→ 文目も知らぬ恋