・現:現実。正気。夢か現実か判らない様な状態。
* * * * *
「あれ。いらっしゃい、ココ」
「!!」
自分の恋を応援してくれているというよりも、面白がっているように思える従姉妹に
その日の風習をいやというほど教え込まれて
まんまとその日、両手いっぱいの荷物を抱えて魔界からの扉を抜けたココを迎えたのは
その昔、恋に恋していたころ、かっこうの餌食となっていた張本人
なんとなく察した雰囲気でココを客間へ通し、さりげなく真壁家の面々の在宅状況を口にしつつ席を外した望里と
入れ違いの形でそのひとは、客間へとやってきた
「鈴世……」
「やけに大荷物だね。……って、ああ……」
「そ、そそそそうなのっ! ほら、今日はバレンタインデーって日なんでしょう?
あああ愛良にね、男の人にチョコを配る日だって聞いたから……。はいこれ、鈴世に!」
「え? あ、ああ……ありがとう」
鋭い鈴世のこと、その“荷物”を目にすれば、いろんなことに気づいてしまうかもしれない
ずばり正解を出されてしまう前に、自ら焦点をずらし主張してみたものの、うまくいったかどうか
穏やかな微笑みをたたえたまま鈴世は、“荷物”の中から取り上げ手渡した包みを受け取った
「はは。“配る”ってのは、なんか違うような気がするけどなあ」
「あ───っ。わ、判ってるのよ? ちゃんと。す……好きなひとに思いを託してチョコをあげるんだ、って
でも、義理チョコって制度もあるって聞いたから……」
「制度……確かにね。改めて、ありがとう。愛良にもお礼言っとかないとね」
「やだ、そんなことまで判っちゃうの!?」
……と、悲鳴を上げつつ、つい先刻、自らの口で情報源を暴露したばかりであることに気づき
ココは慌てて自分の頬を押さえた
“おにいちゃん……っていうか、好きなひとだけじゃなくて───
たとえば、お世話になってるひとに義理であげたりもするよ? いつもありがとうって意味で”
これは、バレンタインデーの詳細を教えてくれたそのときの愛良の台詞
次の瞬間、ココの脳裏に浮かんだのは、一も二もなく鈴世の顔だった
子供のころの話だとはいえ、あれだけなりふりかまわず追いかけた相手の記憶を
“義理”という単語で引き出されてしまった今の自分に、ココは純粋に驚いた
そして今、さらりと“義理”と宣言しながら鈴世にそれを渡すことができてしまった自分にも
今でこそ“若気の至り”と笑えるものの、当時の自分は、自分なりにせいいっぱい鈴世のことを想っていた筈なのに
「ははは。ちゃっかり者の愛良が先生だったら、ホワイトデーのことも聞いてるよね?
お返しは適度に期待してて。気合入れて探すから」
「え、あ……うん……!」
けれど、変わらずこちらに向けられる、鈴世の穏やかな微笑みがくれるのは
過去に感じた高揚感ではなく、むしろ、ほっとさせられる安堵感
じゃあ、鈴世への想いを“過去のもの”とはっきりさせてしまったのは、誰なのか
改めて思い知らされながらココは、大荷物と称されたそれを渡すべき相手のことをふと思った
そして、次の瞬間
さらなる訪問者とともに、客間のドアが開く
「──────あ」
四つの声がぴたりと重なる。四つ───すなわち、鈴世、ココ、そしてたった今客間へとやってきた
なるみ、そして卓
後者ふたりはドアを開けたそのままの姿勢で固まり、なにやらにこやかに笑いあう前者ふたりを凝視し
短い沈黙に包まれたあと、それを破ったのは、卓の棒読みに近い言葉だった
「……失礼しました───」
そしてすぐさまくるりと踵を返し、早足でその場を去っていってしまった。いや、彼の歩調はいつも早いため
それが早足であったかどうかは判らないけれど
「え! あ、卓……くんっっ。待って……」
「た、卓……!? なんで……」
「ああ……おとうさんが呼んだの、かなあ……。気を利かせて……」
「!?」
望里は多分、もうずっと前から自分の気持ちを知っている。それは確かめなくとも判っていた
けれど、望里が(ココのために)卓を呼び寄せた事実を、“気を利かせた”と言う鈴世、は……?
頭がぐらぐらした。けれど、その真相を明らかにする前に、解いておかなければいけないものがあり
ココはドアのそばでおろおろ佇むなるみを見据え、叫んだ
「な、なるみ……さんっ。誤解しないでね! 義理だから、義理!」
「え? あ、ああ……はい……」
まっさきにそう来るとは思わなかった。そんな表情でなるみはココを見返し、頷く
名前を呼ぶのですら一瞬つまってしまう、なおかつ自分から鈴世を奪っていった立場である彼女に
“もしかしたら自分はまだ鈴世のことを好きなのかもしれない”そう思われてしまうのは嫌だった
この想いは過去のもの そう割り切っておきながらも、そんなことにこだわってしまうあたり
矛盾極まりないのだけれど
そんなふたりのやりとりを眺めながら、鈴世はきわめてのんびりと口を開く
「はっきり言うなあ。そんなに義理・義理って主張しなくても……」
「あなたっっ。それより……」
と、なるみが焦りながら指差す方向・江藤家の玄関にはすでに人影すらなく
ぱたぱたと出入り口に駆け寄りそちらを眺めたココは、深いため息をついた
──────こんなはずじゃ、なかった
予定ではこの後真壁家へとダッシュで向かい、突然の来訪にぎょっとしながら自分を迎えた卓に
なんとかプレゼントを渡している筈、で……
「とりあえず、はやく追いかけたほうが……いいんじゃないかなあ」
「!!」
ソファに腰掛けたまま、その言葉の意とは裏腹にやっぱり鈴世はのんびりと口を開く
それに弾かれるように反応しつつ、ココは、もうひとつ明らかにしなければいけないことがあったことを思い出す
「……鈴世も、気づいて……た? その……わたしが、卓、を」
「まあね」
そりゃ誰でも気づくだろう。そんなひとことを鈴世は飲み込んだ
ココの将来的な進路を邪魔しないよう、出入り口からさりげなくそっと身を避けたなるみも同様に
「……鈴世は、なんでもお見通しなのね」
「そりゃココより何年も長く生きてるからね。多分、男心にもココより詳しいよ。ぼくも男だし」
「………………」
「きっと誤解したね、卓も。でも、実は待ってると思うよ。ココが追いかけてきてくれるのを」
「でも…………」
言いよどむココを見つめながら、例のごとくアルカイックスマイル
ココが急いで席を立ったせいで、テーブルからずり落ちてしまった包みを拾い上げたなるみに目配せしつつ
諭すように鈴世は言葉を次ぐ
「さっきなるみに言ってくれたようなことを、そのまま伝えればいいんだよ」
「うん……わかってるんだ、けど……卓相手だと、どうしても素直になれないの」
「あれれ……」
みるみる暗く沈んでいくココの顔色を、ほんの少し表情を硬くして鈴世は見やった
「……ちょっと前までは、年上“なのに”って思ってたの。でも今は
年上“だから”逆に踏み込めないっていうか」
「………………」
ちょっと短気でワガママ、意地っ張り。そんな自覚は十分にある
そんな自分だからこそ、本当は、ずっと年上の、自分を包み込んでくれるようなひとのほうがいいんじゃないか
たまにそう思ったりもする。けれど結局そのたびに、堂々巡りののち同じところへ気持ちは帰ってきてしまう
「───って、わたしがこんなだから、卓のことも、すぐむっとさせちゃうし……」
「うん……でもまあ、今日でまたひとつ卓もココに近づいたよね?」
「………………」
無言でココは頷く。今日の荷物が“大荷物”になってしまったのは、他でもない、そのためだ
「ちゃんと誤解、解いて……ちゃんとお祝いしてあげなきゃ、ね?」
「………………」
この想いは過去のもの そう割り切っておきながらも、鈴世の言葉の影響力は
未だ、思った以上に強いことを思い知る。やっぱり、あれはあれで“初恋”だったのだ
そして現金なことに、鈴世の口からそう言われると、なんだか本当にうまくできそうな気にさせられてしまい
「と、とにかく追いかけて……みる! ありがとう、鈴世っ。な……なるみさん、も!」
「うん。頑張って」
手を振る鈴世を背中にココは取り急ぎ荷物をまとめ、ばたばたと駆け足で卓の去った道のりを追った
→ 千重に想う