お題.com 単品お題  君のいない部屋

習慣というのは恐ろしいもので、無意識にただいまと口をついて出た。彼が外出している=返事がかえってくることのない時間帯を狙い撃ちしたうえでこの部屋に帰ってきたというのに
首をすくめながらドアを閉め、鍵とチェーンをかける。荷物を置いてほっと息をつくと、この部屋の静けさをさらに感じさせられる

ゆっくりこちらの世界に慣れていけばいい そんな言葉と、それを裏付けるべく家事やらなにやらをひととおり習得し、ひとりでもそれなりにやっていけることを示した彼に甘えて、人間界と魔界とを往復する生活が相変わらず続いていた
「慣れる」とは、こちらの生活習慣全般をその対象として言ったのだろうと思う。確かに当初は戸惑うこともそれなりにあったけれど、割とすんなり順応できていると思う。むしろ慣れるべきは、ひとりで過ごす時間、より正確に言えば、彼のいない時間に対してなのだと気がついたのは、彼の新生活が本格的に始まってからのことだった。一緒に、且つふたりっきりでいようと思えばそれができてしまう環境がなまじ仕上がってしまったぶん、揺り戻しも強くなるのだと

当初、学費以外は自力で賄うと言っていたのを、少なくとも学校に通っているうちはすべて面倒を見るのが親の役割だという伯父・伯母との押し問答の結果、「ある程度」の自己負担に落ち着いたらしい。だからといってそこに胡坐をかくのは沽券にかかわるということで、みっちりと詰め込んだというバイトのシフト表と、先輩・同輩からの情報網を駆使し、必修科目のほかは出欠を取らない授業を厳選して組み上げたにもかかわらずそれでもぎちぎちに詰まっているという履修表とを交互に眺めながら、彼はげんなりしていた───授業に出なきゃいけないとか言っている時点で学生の本分を履き違えているような気がしないでもないが、それはそれ、これはこれ。別の機会に考えるべくちょっと置いておくとして

いずれにしても、彼はずっとこの部屋にいるわけではない。それは自分がこの部屋にいようといまいとたぶん変わらない
お互いがお互いを軸として動いてはいるが、常に軸を中心に据えていられるわけではない。それを頭では理解しているつもりでも、「慣れる」ことのないまま本格的に生活拠点を移してしまったらどうなるか は、我ながら明白すぎた───彼しか見えていなかったころに逆戻り、何もかもうっちゃらかして四六時中一緒にいたいとか言いだして彼を困らせるだけだ

まがりなりにも魔界の王女という立場である以上、弟が生まれる以前ほどではないものの、それでも顔を出さざるを得ない行事ごとはそれなりにある。そんな事情はある意味よい機会だった。ある意味というのは、あくまで精神修行の場がうまいこと用意されていたから という意味であって、感情が追いついているとはいまだ言い難い状況なのだけれど

──────卓も、すこしはさみしいって思ってくれてるのかしら

ソファに放り投げられた彼のシャツを拾い上げながらそんなことを思った








部屋数を用意することができないぶん、ふたりで、特に彼女が寛げる空間を。そう吟味したこの部屋は、ぼうっとひとり座っていると、街の喧騒が意外と聞こえてくることに気づく。壁や天井が薄いとか、そんな安普請では勿論ないが、上の階からにぎやかな足音が響いてくる。内見時の、階によってはファミリー層向けの物件だという説明のとおり、どうやら子育て真っ最中の家族が住んでいるらしい

『いきなりひとりはさみしいかなって』

これまで、家には他に部屋があって、他の部屋には他の家族の温度があって。自室といっても鍵はないからたまに妹がうろちょろ入り込んできたりして。ひとりになりたいと思う瞬間はそれなりにあったものの、確かに、厳密な意味でひとりになったことはなかった。だからあの日彼女を引き留めたというわけではないつもりだったけれど、ひとりぶん広く感じさせられる部屋でなにをするわけでもなくこうしていると、なるほど言霊というのはこういうことかと思わされたりもする。ひとりになるのはそこまでではないが、ひとりにされるのは───

テレビの電源を入れてはみたが、なにか目当ての番組があるわけではない。彼女が視聴しているドラマの録画設定がきちんと効いているか確認するだけですぐ消した。先に見ちゃわないでね、と釘を刺して行ったけれど、そこまで積極的な興味はない。前回の放送を見たのは実家のリビングで、1台しかないテレビを占有されていたから、なんとなく見ていただけ。より正確に言うと、ストーリーに感情移入してボロボロ泣いているところを横目で眺めていただけ。それをわざわざ言ったりはしないが、録画予約を入れたことを恩着せがましく示したのは、次はこの部屋に直帰しろという無言の圧をかけたつもりだったが、彼女がそれを感じ取ったかは分からない

好きだけど嫌われて傷つくのもいやで最初から冷たく当たってみたり。妹がひとり増えたような庇護欲に駆られてみたり、姉に甘えているような心地よさに溺れてみたり。ひととおりの家事をこなせるよう張り切って習得してみたけど、家事ができないままでいればもしかしたらこんなに長く帰ることはなかったのか、などと思ってみたり。ひとりでも平気だとかっこつけていたいくせに、一刻も早く帰ってきて欲しかったり
各々の瞬間でベクトルの違う二律背反に踊らされているうちはまだマシだ。長いといってもそれは体感の話で、実時間を数えたら見送ってからそう経ってもいないのにこのザマでは、かっこつけていられるのもそれこそ時間の問題。解き放した籠とは比較対象にすらならないこの狭い部屋にいつもいつでも閉じ込めておきたいなどという身勝手な願いをいつまで我慢できるのか、それは自分にもわからない。少なくとも、おなじ月を眺めているだけではもう足りない



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