秘密の花園

百聞は一見にしかずとはつくづくよく言ったものだ。友と弟子とに見守られながら静かに人生を終えたハイターが、再度意識を取り戻した瞬間に立っていたのは、生前ふんわり描いていた『死後の世界』のイメージとは全く異なる場所だった

前面と左右の三方を、ぎっちりと書物の詰まった書棚が埋め尽くす広い部屋。その中央に立つハイターの対面・一段高く広い壇に、大きな机がひとつ。そこには、若いといわれれば若く見える、老齢といわれれば老齢にも見える、年齢性別ともに不詳だが、なぜかお偉方のオーラを感じさせる人物が座っていた
彼(?)は先ほどから、右手の鵞ペンでなにかを記しながら、もう一方の手に携えた書面を淡々と読み上げている。分厚く綴じられたその書面には、ハイターの生前の所業がくまなく記されているらしい

くだらない、且つ波乱万丈な旅を経て、大往生と謳われるまで生き切ったのだ。その経緯を文字に起こせばまあ、その厚さにもなるだろう。ただしそれを立ったまま聞き続けるのは、脚にも腰にも堪える。せめて杖をくれ
───などと訴えられようはずもなく。ハイターは軽くうつむいた姿勢のまま、その朗誦に耳を傾ける。その視界の端を、背後の扉から入室した人物が、これまた分厚い書面を手に横切っていくのが見えた。どうやらなにか手続きを進められているようなのだが、その妙に事務的な雰囲気が、在りし日の旅の途上に立ち寄った関所を思い出させる

そしてその手続きがすんだということなのか、背後にふたつ並んだ扉のうち、一方はあとから入ってきた人物によって塞がれ、もう一方の扉からこの部屋から出るよう促される。特に逆らう理由も見当たらなかったので、促されるまま踵を返し、ご指定の扉を開け歩みを進めた

なるほど、うっすらそんな気がしていたが、執り行われていたのはいわゆる『審判』だ。魔王を倒し、世界に平和をもたらした勇者御一行様の一員ともなれば、無条件で天国へ行けるだろうと踏んでいたのだが、どうやらそれはとんでもない驕りだったらしい

では果たして、己に与えられたのはどちらへの道なのか。仄暗く狭い、どこまでも続いていきそうなその道を、ハイターは首をすくめつつ粛々と進んでいく。ほどなくして、目の前に眩い光が差し込み、どこかにたどり着いたのがわかった
突然開けた世界は、見渡すかぎり一面の花畑。そしてその中央、穏やかな風が揺らす花々に囲まれて佇んでいた、勝手知ったる英雄が、ハイターの姿を認めるなり大きく手を振った







「とうとう君もこっちに来てしまったんだね、ハイター」
「まあ、そうですね……。お久しぶりです。相変わらず、お元気そうで」

こちらの老体を気遣ってなのか、歩み寄る間もなくヒンメルが駆けつけてきた。風に翻るマント、スラリと伸びた脚、ついでに豊かな髪。その姿は自分と同年代のそれではなく、在りし日の、ともに旅をしたころの姿そのままだった

「久しぶりだねえ。ただ、こっちの時間の進みかたは、生きてたころとは違うみたいで、あっという間だったけどね」
「進みかたが違うって……。逆行したりもするんですか」
「え?」
「ずいぶん若いころの姿で現れたので、驚きました」
「…………」

ハイターはヒンメルの晩年の姿を知っている。元勇者の好々爺として皆に愛されていたが、縮んだり足腰が弱ったり、ついでに頭が寒かったりと、身体能力的に見ればいろいろ不便ではある……天国での生活に利便性が必要かどうかはさておき
それが、目の前に颯爽と登場したこの姿はどうだ。うって変わって、現役勇者そのものだ
さすがは天国というべきか、今後を過ごしていく自分の容貌を自由に選ばせてくれるのかもしれない。そうであるならば、利便性もさることながら、常日頃からイケメンぶりを自ら誇っていた彼にとって、これ以上ないサービスだろう(もっとも彼の場合、どの時代の自分の姿も等しく愛しているに違いないのだが)。よくできたシステムだとある意味感心していると、彼はしばし絶句したあと、ようやく合点がいったような顔でこちらを見た

「ああ、そうか。いまの自分の姿をまだきちんと見ていないから、わからないのか。そういう君だって、あのころと変わらないよ」
「えっ」

私も? と、思いも寄らない言葉に、反射的に顎のあたりを差してしまっていた指を改めて見てみる。すると、深い皺を刻み黒ずんだ沁みが散り、すこし曲がってしまっていた筈のそれが、陶器然としてしなやかに伸びているのが分かった。ヒンメルが差し出した手鏡を覗き込むと、そこに映る顔もまた、目の前の彼とともに旅をしたころのものだった

「!? い、いつの間に!? さっきまでは確かに老いぼれてたのに」
「老い“ぼれ”って、自分で言うのか……。まあ、君は言っちゃうタイプだよね……」
「おお~……。こんなに軽快に動けるのは、下手したら半世紀ぶりくらいですよ」
「そ、それはよかったね。ええと……」

体が軽いと心も軽くなる。それを改めて実感しながら飛んだり跳ねたりしていると、はじめはあっけにとられていたヒンメルも、なにかを思い出したのか、うんうんと頷いた

「まあ、そうなるよね。僕も、ああ、死んだなあ……と思って、次に気がついたときにはいきなり若返ってたから、あれ? って思って……このへんを意味なく走り回っちゃったよ」
「……ん?」

───『いきなり若返ってた』。ハイターは、ヒンメルの言いようと自分の体感との間に、若干のズレが生じているような気がした

確かにいきなりはいきなりなのだが、ハイターの場合は、こちらの世界に来た時点でいったん、死ぬ寸前の姿のままである自分を認識したからこその『いきなり』だ。あの部屋で、立ちっぱなしで生じた腰の痛みも、軽く組み合わせていた手指の枯れ木のような見た目も、確かな、直前の記憶としてここにある

「ええと……私の場合、あの部屋からここに来るまでは確かに老け込んだ姿のままだったのですが……。ヒンメル、貴方の場合は違ったのですか」
「え?」
「いや、審判を受けている間、腰痛がまあひどくて……。あの時点で若返っていたなら、ずいぶん違っただろうなと思いまして」
「……ちょっと待ってハイター。あの部屋って? 審判? なんのこと?」
「え?」

死してなお、老体に鞭打つような真似をさせられなくて済んだのは、純粋に羨ましい 始めはそこから始まった違和感だったが、思わぬ方向に舵を切りはじめた

いまいち要領を得ないでいるヒンメルに、「立ち話も何なので」と、腰を下ろすよう促す。花を潰さないよう静かに座り込み、改めて、自分が先刻見てきたばかりの光景───書物に囲まれた部屋やなにもかもが不詳の人物、あくまで指示に従った結果としてこの場に来たこと等を、懇切丁寧に説明したのだが……彼にはまったく心当たりがないらしい

「そうなんだ……。僕の場合は、気がついたらここに大の字で寝てたから……」
「…………」
「選ぶとか選ばれるとか、そんな余地もなかったなあ」

なるほど、ヒンメルは審判だのなんだのをすっ飛ばして、問答無用でここに送り込まれた、と……

「勇者特権ってやつですかねえ……」

立てた膝に顔を埋め呟くと、勇者はけらけらと笑った

「そんなことないでしょ。むしろ君の場合は酒のせいじゃない?」
「百薬の長なんですけどね。そこまで目の敵にされることでもないでしょう」
「いや僧侶……。というか、そもそもここが天国かどうかもわからないよ? 誰も教えてくれないし」

と、ヒンメルはフォローなのかなんなのかよく分からないことを言いだした。こんな、いかにもな場所がそうでないとするなら、どこが天国なのか。逆に、地獄と呼ばれる場所はどれだけ悲惨なのか。そしてそれ以前の問題として

「あなたがいるならそこが天国でしょう」







「……出迎えが、貴方だったのも驚きでした」
「えっ、ダメだった!? あれ? 僕は君とは親友のつもりでいたんだけど……」
「いや、なんかこう……。親が迎えに来たりするのかな、とか思っていたので」

こういうときには───天国という場所に足を踏み入れるときには。先立った人達のうち、自分がいちばん会いたい人が迎えに来てくれるものと思っていた

もっとも、天寿を全うしたと言われるほどの年数を生ききったいま、いちばん会いたい相手が親かと問われると、それはそれでちょっと違うような気がするし、実際問題、顔をまったく覚えていない親が来てくれたとしても、互いに気まずい思いをしそうな気がする。天国サイドがそのあたり気を遣ってくれたということなのか、それとも

「そのへん、どういうシステムなんだろうね。僕も突然呼び出されたから分からないんだよね。君がこれからやって来るから、ちょっとここに立ってて、って」
「ノリが軽いですね……。というか一応お迎えの体で来ているなら、相手に気づかずあさっての方を向いてるってのはどうなんですか」
「そりゃ……死んじゃった君には申し訳ないけど、それはそれとして、会えるのは嬉しいからさ。その喜びを表現するにはどの角度の僕がいちばん相応しいか、吟味に吟味を重ねていたんだよ」

他の候補はこうだったんだけど、どうかな? ヒンメルはそう言うと、微笑みながら次々とポーズを決めた。相変わらず無駄にバリエーションが多い。世界のあちらこちらに建てまくった銅像を設計するたび、うんざりさせられたことを思い出す

『曲がりなりにも勇者の像なのに、生命力を感じさせない仕上がりになったら困るだろう?』───これは何体めかの銅像設計時、不機嫌さを隠そうともせず帰っていった職人を見送りながら彼が言っていた言葉だ。月の半分くらいは半死半生・土のような顔色で過ごしていたハイターとは違い、彼はいつもいつでも生き生きと、活力に満ち溢れていたのに

「……貴方が先に死んだのはなぜなのか、生前、ずっと考えていたんです」
「うん?」

彼は、少なくともハイターが知る限りにおいては、飲まない打たない買わない、心身ともに三拍子揃った健康体のはずだった。変な呪いを喰らったわけでもない。旅を終えてからも、それなりに健全な生活を送っていたはずだ。それなのに

「いつの間にか体は半分くらいに縮むし、髪は減って、そのぶん髭に毛量ステータス全振りだし」
「えっ、突然悪口始まった……あれはあれで可愛かっただろ……」
「それは否定しませんよ。周辺住民にも好かれてましたしね。ただ……」

彼がその生命を終えたとき、違う意味で衝撃を受けたのだった
いつも先導してきた勇者は、そんなことまで自分を導いていくつもりなのかと

「……まあ、いい人ほど先に逝くっていうし、そういうことじゃないかな?」
「自分で言いますか……。まあ、あなたは言っちゃうタイプですけどね……」
「そんなに気になるなら、多分あのへんに女神様いるから、直接訊いてきたら」
「……ノリが軽すぎるんですよねえ……」

いくらなんでも女神様がそのへんに居てたまるか。そう思いつつ、彼が言うともしかしたらそんなこともあるかもしれないとも思ってしまう自分が嫌だ。微笑みながらヒンメルが指差した先に、ハイターはそっと目をやった



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