「おかあさん、おかあさ───ん!!」
「まあ、なあに? 愛良……。 すごいイキオイで………
───ええっっ!?」
玄関のドアを開けるなり、血相を変えてバタバタと飛び込んできた愛良を
夕餉の支度が始まりおいしそうな香りが漂うキッチンで苦笑しながら振り返った瞬間
蘭世は、手にしていた包丁を取り落としそうになるのをかろうじて堪えた
「あ……あなた、彬水くん………!?」
愛良に手を引かれている青年を見やる
『彼』がその姿でこの家を訪問したのは、過去に一度きりで、それ以降は───
「違うの! 開陸なの!! 開陸が新庄さんにもどっちゃったのう───!!」
「……って…ええええええっっ!?」
胸に飛び込んで叫ぶ愛良と、申し訳なさそうに立ち尽くす彼とを交互に見つめ、蘭世が目を白黒させていると
ようやく彼は自ら口を開く
「───そういうわけ、なんです………」
「───そういうわけ、なのよ」
「………」
ジムから戻った俊を待ち、真壁家の面々と開陸は揃って品数豊富な食卓を囲む
今日のメニューは天ぷらがメイン
小鉢をつつきながら、かわるがわる経緯を説明する蘭世と愛良を眺めていた俊の視線は
すうっと開陸へと移り、止まる
「………外傷は、ないようだな。……メヴィウスは何て?」
「あ、はい……。でかくなる瞬間に頭が…っていうか体中が痛くなったくらいで
別に、傷もなにもない、です
メヴィウスさんのところにも行ってみたんですが…原因は思い浮かばないと」
「………」
「………」
世話になっている以上、大きな声では決して言えないが
開陸は俊の───愛良の父親の、人を刺すような強い眼光が、憧れでもあり苦手でもあった
まるで心のうちを見透かされているような、強い眼光
特に今日は、身体が成長したのに伴い座高が高くなったせいなのか
それがいつもよりずっと強く・近くに感じられ、思わず開陸は口をつぐむ
「───まあ、焦っても仕方ないし」
「!」
「ゆっくり考えるとしよう。……とりあえず今日は、少しでも身体に異変を感じるようなことがあったら
いつでも、誰にでもいいから、すぐ言うんだぞ」
「……は、はい……」
ふと表情がやわらかくなった俊につられて、開陸の表情もほぐれたのもつかの間
食卓にはじけた愛良の声が響いて再び開陸の表情が固まる
「あっ! でも、久しぶりだから、もうちょっとそのままでいて欲しいかも!」
「!」
「ふふ。開陸のパジャマとか、魔法でサイズ引き伸ばしておくからね♪
服のことは気にしないで大丈夫よ」
「……愛良……」
開陸のほうをちらちら盗み見ながら、愛良の口を塞ごうとする蘭世
そんな気遣いも空しく、愛良は無邪気に言葉を続ける
「そうそう、大変だったのよ〜。今日ここへ帰ってくるとき!
開陸の服、更衣室にあったから、それを一旦女子トイレへ持っていって
こそこそ引き伸ばして、また更衣室へ戻して……」
「………」
おろおろとしながら愛良と自分とを眺める蘭世と、無言になってしまった俊に、なんとなく申し訳なさを感じながら
開陸は箸を置いて席を立った
「───ごちそうさまでした……」
「……まあ、確かに服は引き伸ばしてもらわないとまずいっちゃまずいけど……」
自室に戻った開陸は、ひとりごちながら部屋を見回し、深くためいきをつく
身も心も『新庄彬水』だった頃の衣服は、全て処分してしまった
もともと流行にとらわれていない(というよりも、むしろ『疎い』)自分だから
当時と同じ程度の背丈に成長した頃、またそれを着ることができるように思える分、
いささか勿体ないような気もしたけれど
なにより、当時の自分という存在に通じるものを、そのままにしておくのが辛かったから
その服を着た自分を見て、嬉しげに何かを思い出すであろう愛良の姿を見るのは耐えられそうにないから
───だというのに
「……自分自身がこんな姿になっちまったら、意味ねえよなぁ……」
更に深く深く、ためいき
夢見も悪い上に、追い討ちをかけるかのごとくこんな目にあってしまうだなんて
目に見えない、運命というある意味絶対的なものに振り回される今の姿が
種族が普通ではない分、身体の仕組みもやはり普通ではないであろう自分に与えられた道なのか
それとも
地球を護るとか、そんな身に余るほどの大掛かりな使命の片棒を担いでしまったその過程で
他の誰かの運命をも変えてしまったかもしれない自分への報いなのか
「───なんて、な……」
流石に、後の考えはこじつけというか、思考が下降し過ぎだなと我ながら思う
けれど、そんなある意味無茶苦茶な可能性にまで思いを馳せてしまうくらいに
今の自分は疲弊していて
新庄彬水の身体で愛良を犯す夢を見た自分が、成長し、まさに今その姿になっているだなんて
今朝の夢が紛れもなく自分の願望なのだと、他でもない自分自身が認めたようなものだ
心はともかくとして、身体は
そしてそれと同時に、自分がその姿で存在するということは
今の自分では決して、新庄彬水という存在を超えられないのだと、やはり自分自身が認めたようなものだ
言いようのない敗北感にとらわれて、少しずつ少しずつ精神的にも下降していくのが自分でもわかる
抜け出せない悪循環。───元の姿に戻る足がかりでもできれば、また変わってくるのだろうか
それ以前に
戻るべきなのか、どうか───
「開陸くん、ちょっといい?」
「!!」
そんな開陸の思考を遮るかのように、控えめにドアをノックする音が響き
中のようすを伺いながら自分を呼ぶ声がする
「あ……。はい、どうぞ!」
「ふふ。失礼しま〜す」
慌てて表情を戻してドアを開けると、盆に氷の浮かんだグラスを乗せた蘭世
ゆっくりと部屋へと進み、机にそのグラスを置く
「冷たいお茶を入れたから……。どうかなと思って」
「あ、ありがとうございます……」
そういえば夕食後、部屋に戻ってからしばらく経つが、夕飯前から水分を摂ることなく今に至っていて
夏の盛りは過ぎたとはいえ、夜もまだまだ暑くて
言われてみれば喉はカラカラ
開陸は心からありがたく、蘭世の運んできたお茶を飲み干す
蘭世は微笑みながらそれを眺め、空になったグラスを机に置くのを見計らっておもむろに口を開く
「さっきは……ごめんなさいね。愛良が……」
「え、ああ……」
「ホントあの子ったら、考えが足りないというか何というか…開陸くんの気持ちも考えないで
無責任なこと言っちゃって」
「や…それは気にしてない……といったら嘘になりますけど……
でも、ある意味仕方のないことですから」
「う───ん……」
心から申し訳なさそうに自分に謝る蘭世───愛良の母
愛良とは、似ているのは顔だけで、雰囲気などはまるで違っているけれど
開陸は蘭世のことを気に入っていた。正確には、蘭世と愛良が一緒にいるときの姿を眺めるのが好きだった
自分は、産みの母親の顔を知らない。もし自分に母親がいたとしたらどんなだったのか。こんな母親だったらいい
そう思わせてくれるような、言葉にできないなにかを持っていた
「あのね……開陸くんは開陸くんよ」
「え」
複雑な色を浮かべて微笑みながら、蘭世は開陸の目を覗きこむ
「ちょっぴり、背が伸びてうれしいな〜って思っておけばいいのよ
わたしも、背が伸びた開陸くんに、色々手伝ってもらったらうれしいな〜って思うから…」
「……はあ……」
「ほら、ちょうどキッチンの高いところに棚があるでしょう?
あそこに仕舞い込んじゃったものをとりたいなと思ったとき、すぐ開陸くんに頼めばいいじゃない?
───だから、焦らないで」
「………」
「愛良も、混乱しているだけなのよ。本当はすっごく心配していると思うの、でも素直になれないだけ
あの人の、子供だしね」
「───ぷっ」
そういえばなぜか愛良から、夢見がちに自分の親同士の大恋愛話を聞かされたことがある
ご丁寧に、祖父が執筆したという書籍つきで
ぺろっと舌を出して笑う蘭世の言うところの『あの人』が、言葉少なく、素直ではなかったと
その時苦笑交じりに語っていたことを思い出す
けれど本当は『その人』は、とても深い心を持った人で
今の自分と形は違えど、さまざまな運命の悪戯に翻弄されてきた人でもあり
「ふふふ。お風呂、沸いているから…今日は早めに入って早めに寝ちゃいなさいな
身体だけじゃなく精神的にも疲れているだろうから、今日はゆっくり休んで
明日みんなで考えましょう。───―ね」
「はい……!」
今の自分が一番言って欲しかった言葉をさらりと残し、微笑みながら蘭世は部屋を出て行く
圧し掛かるような重さを抱え込みつつあった胸がすうっと楽になったのを感じながら
開陸も勧められるままに風呂へと向かった
───確かに、原因がわからない以上、気ばかり焦っても仕方のないことなのだ
それに、今はどう頑張っても、気が逸っている分、的確な解決策は見出せないに違いない
少なくとも今日の自分は頭も心も身体も疲れきっているに違いないから
進言どおり、ゆっくりとあたたかい風呂に浸かってゆっくり休んで
明日、じっくりと考えてみればもしかしたら、なにかいい考えが浮かぶかもしれない
いくら慰められても自分自身が納得しなければ根本的な解決には至らないのだとしても
それでも、誰かに言ってもらうだけで気が楽になるという事実は、やっぱり存在する
今の自分が、まさにそれだ。少しばかり余裕が出て、鼻歌まじりに流行りの曲が口をついて出る
するすると衣服を脱ぎ、軽く畳んでランドリーボックスへ入れて
からりと引き戸を開くと、ほかほかと漂う湯気
入浴剤の、花のような香りが優しく香ってくる
「…………ふう」
蛇口をひねり、レバーを「HOT」の方へと倒してしばらく様子を見る
適度な温度になったであろう湯を指先で軽く触れながら、シャワーを壁から外し、一気に頭から被る
───その瞬間
先刻のような、引き裂かれるような痛みが、再び開陸の全身に走る
「………!! ん、あ…………!!!」
手にしていたシャワーヘッドが音を立てて床に転がりその上に被さるようにして開陸は倒れこむ
思わず抱きしめた自分自身の身体が、少しずつ少しずつ、慣れた大きさへと変化していくのを感じる
そのうちふと、痛みが治まり
むくりと起き上がって壁に掛かった鏡を覗き込むと
「………どういうこと、だよ………」
無事(というか何というか)、水上開陸の身体に戻った自分が自分を凝視していた
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