ばたばたばたと奔走しているうちに、時間だけはいつもと変わらずに過ぎて
ようやく落ち着いたのは、“丑三つ時”もとっくに回った頃だった
戸閉まりをもう一度だけ確認し、ゆっくりと静かに階段を昇る
先にめいめいの部屋へと戻り休んでいるはずの家族を起こさないように
「………あれ」
階段から続く長い廊下。そのつきあたりが自分たちの部屋で、廊下を挟むように、ふたつの部屋がある
その一方は、卓の使っていた部屋───今は開陸が使っている部屋で、物音ひとつせず寝静まった様子
もう一方の部屋は愛良の部屋で、自分よりも大分先に戻ったはずなのに
ドアの隙間から薄く灯りがもれていることに気づき、蘭世は思わず立ち止まる
「愛良? 起きてるの…?」
ぼそぼそと呼びかけながら静かにノックする
中からの返事がないままにドアを開くと、携帯電話をじっと見つめていた愛良が
ようやくその存在に気づいたかのように蘭世の方を振り返る
「おかあさん……」
「愛良……。眠れない気持ちは判るけど、そろそろ寝ないと……体に毒よ」
「…………」
ぱくんと携帯電話の画面を閉じ机の上に置いて、愛良はためいきをつく
どのくらいこうやって考え込んでいたのか、部屋に戻るときに運んだグラスは
ひとくちも口をつけられることなく汗をかいたままで、コースターに垂れて大きなしみを作っていた
「あたしの……せい…な、の……」
「え?」
「開陸があんなことになっちゃったのは、きっとあたしのせい……」
「愛良? なに言ってるの、そんなことないわよ
だってメヴィウスさんも原因はわからないって……」
再び魔界を訪れてみたものの、前よりも悪くなった(と思われる)状況に目を丸くするばかりで
結局、前回同様なにも窺い知ることはできず仕舞いだった
生まれ持った血の違いかもしれない そんな結論に逃げてみたものの
逆を言えば解明すること自体不可能なのだから、解決策が保留なことに変わりはない
「さっき、おにいちゃんにメールしたの。ココおねえちゃんにも心配かけちゃいけないなって思って……
そしたら、開陸…水をかぶる直前、ちょっとおかしかったって……」
「え……?」
一度閉じた携帯電話を開き、なにやらちょこちょこ操作をして蘭世に手渡す
画面に表示されているのは、ほんの少しキツい口調で記された、卓からの返信メール
「あたし、ずっと、おもしろがるような言い方しちゃっ……て……
言われる方の立場の……開陸の気持ちなんて、ぜんっぜん考えてなくて」
「……う───ん………」
確かに蘭世自身、いくら娘の言動だとはいえ
これまでの発言が相手の気持ちを慮ったうえでのものだったかと問われると
首を縦に大きく振ることはできない
それは、開陸の沈んだ心情が、部屋でふたり話したあのわずかな時間のうちに
ずっしりと伝わってきたせいもあるかもしれない
───けれど
「浮かれすぎてたの……。もう絶対逢えないって思ってた新庄さんに、また逢えちゃったから
すごく、すっごく嬉しくて……あたし、バカだからそれを何も考えないでそのまま口に出しちゃって
───でも」
「………」
「でも、あたしにとっては、開陸も新庄さんもふたりでひとりなんだもん!
開陸のことは、もちろん大好きだけど
新庄さんのことも、今でもすっごく好き、で……」
「愛良……」
「開陸が突然大きくなっちゃったことは、心配だったけど
大きくなった開陸を、間違いだって思うことは
新庄さんを否定することになっちゃうような気がして、あたし……」
自分の涙もろさをそのままがっつりと受け継いだという表れなのか
蘭世は、ぼろぼろと涙をこぼし始めた愛良の肩をやさしく叩く
そう、その気持ちも判らなくはないからこそ、何もいえなかったのだ
その言動が、多少、度を越えたものであったとしても───誰も
そしてそれはきっと、開陸自身も判っていたに違いなくて
でもそれを受け入れることは、彼にとってみれば、そうやすやすとできることではなく───
「あたし……ホントにうれしかったの……新庄さんに逢えて……
でも、開陸がいないの」
「……うん……」
「おかあさん、どうしよう……ひどいことしちゃった…
開陸に……、開陸に、あやまりたい……のに……」
「……う───ん……」
謝りたいのに、その相手はいない
向かいの部屋で、きっと今頃ようやく寝息を立て始めているであろう人は
もうひとりの、そのひと
こぼれた水がけして元には戻らないように
もしかしたらそのひとも、元の姿には戻らないのかもしれない
次から次へとあふれる涙をそのままに、愛良は蘭世の服の裾を握り締める
「───あ」
ふと蘭世の脳裏に、過去の自分の姿が蘇る
今までとは、状況がまるで違うから
試してみたところで、何も変わらないかもしれない。ただの無駄足で終わるかもしれない
けれどきっと、なにもしないでいるよりはずっとマシだろう
「そうね……
開陸くんにも、それをちゃんと、あなたの言葉で伝えてあげなきゃね」
「え……
伝える、って……だって、開陸は……。どうやって……」
思わずこちらを見上げた愛良の髪をひとなでして
蘭世はいたずらっぽくウインクする
“子供部屋には鍵なんかいらない”
家を建てるとき、そう頑なに主張した夫の言葉におとなしく従っておいてよかったと思う
とはいえ、夜の夜中に嫁入り前の娘を殿方の部屋に忍び込ませるなんて
親としてどうなのかしら……と苦笑しながら
部屋に上がってきたときよりも、更にきわめて慎重に足音を忍ばせて
蘭世と、その後に愛良と───二人はその部屋に侵入する
「(し───っ……)」
口元に人差し指をあてながらお互い顔を見合わせ
静かに寝息を立てる彼の眠りが、深いものであるかどうかをそっと覗き見る
「(……開陸……ていうか、新庄さんていうか……寝てる、ね……)」
「(その、ようね……)」
ごくり。息を呑んで蘭世は
いったん彼の額のあたりに手をかざし、なにかを引っ張り出すように持ち上げながら
勝手知ったる例の呪文を、すらすらと唱える
────── ス マ シ タ イ マ ヤ ジ オ ト イ ヨ チ──────
次の瞬間、もくもくと湧き出てくる雲のようなそれの入り口を引き下ろしながら
蘭世は愛良を振り返る
「(ごめんね。もしかしたら全然勘違いで終わるかもしれないけれど……)」
「(!!)」
「(いってらっしゃい、愛良。夢の中でならもしかしたら今の開陸くんに逢えるかもしれないから
あなたの言いたいことを、全部伝えてくるのよ)」
「(う………)」
一瞬、ひるんだような表情を浮かべ
すぐのちに、愛良は微笑んで
「(うん! ……ありがとう、おかあさん!)」
蘭世の広げた入り口へと、軽いその身を飛び込ませた
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