「……待て……って!」
「きゃあっ!!」
いくら全力で走ってみたところで、卓の脚力にかなう筈もない
それでもいくらか走っただろうか、人気の少ない路地裏に差し掛かったところで、ココは
その腕を、追いかけてきた卓にぐっと掴まれた
「い……った……! 離してよ!」
「…………あ、悪い……」
腕に食い込むほどの指の力に、ココは思わず悲鳴を上げる
はっとしたように卓はその力を緩め、小さくため息をついた
「……なんで、追いかけてきたの」
「は?」
「“ただのイトコ”でしかないわたしのことなんて、放っておけばいいでしょ」
「……………………」
吐き捨てた言葉に卓が返したのは、心底驚いたような表情だけだった
いつからだったろう、彼が自分の挑発的な言葉に対し、さらに輪をかけたような買い言葉ではなく
静かな反応を返すようになったのは
実際に自分がいま、絡むような、駄々っ子のようなことを言っていることも
ただでさえ照れ屋な彼が、人前で自分を恋人だなどと言う筈がないということも
いつもだったら容易に判断がついただろうと思う
けれどこのときばかりは、そんな冷静な、ある意味余裕を持った思考を欠いていた
「……おまえ……ガキじゃねえんだからさ……」
そして、それとは対照的に、冷静な、呆れたような卓のその言葉が、さらにココの苛々を煽った
一気に全てのコンプレックスを刺激されたような気さえする
「ええ、どうせ子供よっ! 小さいころから人間様に囲まれて生きてて
きちんとまわりに気を遣うことのできる、おりこうさんの卓とは違ってね!」
「は? なに言って……」
「“ショートカットの子”って案外、あの子のことだったんじゃないの!?」
「!?」
あれは言葉の綾だったのだと、何より本人が否定したというのに
例えばいまのように、どうしようもない気持ちになったとき、ココはいつもあのときの言葉を思い出す
いや、本当は
深町に初めて会ったあの日から、心の奥にふつふつとその不安がくすぶっていたのだ
一見、快活そうなのに、短く切り揃えられた髪のすぐ下にある色白のつるりとした首筋が
どこか艶っぽさを残す───わずかな時間喋っただけでひしひしと伝わってきた自分とは真逆のイメージは
不安定だった心をさらに揺り動かした。そして、溢れてしまった
「………………」
「……っ……否定しなさいよ! バカッ!!」
黙り込んでしまった卓を残して、ココは再び駆け出した
追いかける気にもなれなかった というよりは
追いかけ、さらに問い詰めたとしても、そしてどんなに否定しても、結果は同じことなのだろうと思った
多分、泣いている───それくらい判っている。それでも今は時間が必要なのだと
「………………」
ココの足にすぐに追いつくことも可能だったけれど、人目が気になり、走る速度を緩めて
こんなところまで来てしまった
グラウンドからは意外に遠いし、そろそろ戻らなければ変に思われるかもしれない
くるりときびすを返した瞬間、卓は、曲がり角にそっとたたずむ姿を見つけ、愕然とした
「ふ……深町!?」
「ご、ごめんなさい。あの、これ………」
「え」
そう言って深町が差し出したのは、小ぶりの買い物袋
中には、味醂の小さな瓶が一本入っていた
そういえば、あの定位置までの道のりをちらりと見たそのとき、ココは
手にぷらぷらと小さな袋を提げていたような気がする
そして先刻、一目散に駆けていってしまったココの手には、何も荷物らしきものはなかった
「ココさんの忘れ物だと……思うんだけど……」
「ああ……多分、おふくろが頼んだんだろうと思うから……連絡しとく。サンキュ」
「ううん」
「…………戻ろうぜ」
「……うん…………」
足を進めようとした卓の進路を塞ぐように立ったまま、深町は何かを言いよどむ
一瞬の間ののち、意を決したように卓の顔をまっすぐに見つめた
「あの、ふ、ふたりのお話は、あまり聞かないようにしたつもりなんだ、けど」
「え……」
「その……ココさんって……」
「………………」
どこから聞かれていたのか。なにかまずいところはなかったかと卓は
先刻までの会話を思い起こした
───“魔界人”という直接的な表現は、遣われていなかったと思うのだが
いずれにしても、もうこれ以上、下手な隠し立てをする気にはなれなかった
ココの吐いた数々の捨て台詞のなかから、彼女自身、読み取るものもあるだろう
(だからこそ、改めて問いただしているのだろうし)
一息ついて卓は、できうる限り努めて冷静に、言葉を切り出した
「……イトコ……なんだけど、それだけじゃない……っていうか」
「恋人……?」
「………………」
「……そっか」
口にするには、いま一歩勇気の要った言葉を、深町は代わりにさらりと口にした
そして、それに対する自分の沈黙を、肯定の意と受け取ってくれたようだった
改めて言葉にしてみると(肝心な部分は口にしてはいないのだが)、妙に気恥ずかしくなる
外面には出さないようにしているものの、うっすらと染み出しているであろう卓の顔をじっと見つめながら
何かを噛み締めるかのようにうんうんと頷き、深町はにこりと笑った
「ふふ。じゃあ今、わたし……チャンスなんだ」
「え?」
この場にはおおよそ似つかわしくない、“チャンス”という単語に、卓の思考がぷつりと止まる
「……わたしも、真壁くんのこと、好きだから」
「───え」
さらに予想すらつかなかった言葉の追撃に、卓は、そちらを見返すことしかできなかった
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