いつもどおりの時間帯に家に帰ると、珍しいことに、愛良が玄関へとやってきた
とはいえ、それは明らかに“出迎え”などという雰囲気ではなく
むうっとふくれながら、卓の顔をじとっと眺めている

「おかえりなさいっ」
「……ただいま。なんだよ、その顔」
「なんだよって……」

呆れ返った表情で一瞥すると、愛良は、腰をおろし靴を脱ぐ卓の背中に
その理由と現状とをきゃんきゃん語り出す
それによると、愛良が帰宅するより前からココが愛良の部屋を占拠していて
制服を着替えるその間だけ中へ入れてもらった(“もらった”というのも何だが)ものの、すぐさま追い出されてしまい
以降、愛良は自分の部屋へ入れないまま・ココは愛良の部屋に立てこもったままなのだという

「あたしは別にいいんだけどねっ。リビングでテレビ観てるし」
「……晩飯のしたく、手伝えよ……」
「やってます! ココおねえちゃんのかわりにっっ」

“かわりに”の部分を愛良はやけに強調した
日頃の様子をどうひいき目に見ても、愛良は、もうちょっと手伝うくらいで
いろいろとバランスがとれているのではないかと思う
とはいえ、現状における課題はそこではなく

「ったく……天の岩戸かっつうの……」
「……あ! おにいちゃんが裸踊りでもすれば、出てくるんじゃない?」
「………………」

卓は、いま履いたばかりのスリッパを投げつけてやりたい衝動に駆られた(そして実際足元に手が伸びた)

「怖っっ! そ、それはもちろん冗談だけど!
でもおにいちゃん、最近、ココおねえちゃんに冷たすぎな気がする───」
「……ガキがナマイキ言うな」

探るような目つきを一蹴しつつ、卓は台所へ向かう
その気配に気付き、こちらを振り向いた蘭世に、ココが忘れていった味醂を渡した
ああ、と受け取った母の視線は、いつもどおり穏やかなものであるにも関わらず
なんだかちくりと胸にささるような気がした

「……おかあさん、何も聞いてないけど……」
「………………」
「もうすぐごはんにするから、ね
卓……ココちゃんは、あなたが連れて来るのよ?」
「………………うん」

ぐっと拳を握る蘭世に深い頷きを返し、卓は静かに階段を昇った



ドアをノックしてみるものの、案の定、返事はない
ノブに手を掛けても、もともと鍵がない筈のそれは、頑として卓の言うことを聞こうとはしなかった

「…………うわ」

最近、家事を手伝う(習う)にしても、不得手な部分を能力で補ったりしていなかったから
失念していたけれど
自分と同様に彼女の能力もまた、ことごとく強大なものだった
どんなに力を込めてみても埒が明かず、卓は思わず声を荒げる

「…………おい、居るんだろ!! 開けろって!!」
「………………」
「つうか……おまえ、いい加減にしろよ! むくれてたってしょうがねえだろ!!」
「………………」
「だいたい、さっきの態度だって……。勘弁してくれよ、学校なんかで
おれは、明日からもあそこに通わなきゃいけねえんだぞ?」
「………………」
「……いてえ!!」

がちゃり。無言を貫いていたドアが突然開き、だんだんとノックする力が強まっていた卓の手に
勢いよくぶつかった
ドアは開いたものの、それだけ。ドアを開けた───部屋の中にいるはずのココ自体の反応はなく
そっと隙間から中を覗き込むと、俯いていた顔をゆっくりと上げる
あれからずっと泣いていたのか、その目も鼻も真っ赤だった

「……ココ…………」
「…………帰る」
「は?」

声が掠れていたせいもあるが、一瞬、何を言われたのか判らなかった

「帰るのよ! そこ、どいてっっ」
「か……帰るって……。おい、ちょっと落ち着けって」
「やっ……………!」

立ち尽くした卓を押しのけて通り抜けようとするココを、すんでのところで押し戻し
それに乗じて卓自身もするりと部屋へと滑り込む
肩を掴んだ手をふり払い、ココは、あからさまに卓の顔から目を背けた

「………………」
「確かにさっきのは、おれも悪かったかもしれねえけど」
「……“けど”、なに!? わたしも悪かっただろうって?
ええ、そうね! “来るな”とまで言われてたのに、のこのこ見に行っちゃったんですものね!
どうも、す・み・ま・せ・ん、でしたっっ」

卓の顔を、きっ、と睨みつけたままココは憎憎しげに言った

「な…………っっ」
「……これでいいでしょう? もうこれ以上、卓が気に入らないことをしないように
帰りますから! さよなら!!」
「…………………!!」
「痛っ……!!」

夕方同様、掴んだ腕にこもった力に、ココは表情を歪める
それにも構わず、卓は怒鳴った

「ふざけんなよ! そうやって……何かっていえば、魔界に帰る帰るって!」
「な…………っ」

卓の剣幕に負けず劣らず、ココは悲鳴に近い声を上げる

「た、卓が、わけの判らないことばっかり言うからでしょう!? わたしは……」
「おまえがちゃんと聞こうとしないからだっ
大体、おまえは気が済むかも知れねえけど! おれはそれじゃいやなんだよ!」
「だって……しょうがないじゃない! わたしには卓しかいないのに
卓に否定されちゃったら、もうここにはいられない!」
「……だから“否定”じゃねえんだって!!」
「きゃ…………」

卓は、掴んでいたココの腕を力まかせに引き、抱きしめた

「さっきのは…………言いたいことは判るんだけど、もうちょっと時間が欲しい
で、昨日のは……言い方が悪かった。ごめん」
「………………っ……」

抑え込んだ筈の涙が、再びあふれだす
空いているほうの手で、ココはにじむ目元を覆った

「でもな。昨日のは……純粋に、サッカーが気に入ったから見にくるってんなら
あんな言い方はしなかったよ」
「…………え……」

この期に及んでまだ自分は責められるのか そう言いたげな顔で見上げたココを制して卓は続けた

「まあ、もうちょっと聞け。文句はあとから聞くから
……こっちの世界で、おまえの周りにいる……っていうか、“ある”のは、おれだけじゃないだろ?
最近は買い物とか出ていろいろ……ほんとにいろいろ、ヒトやらモノやらを見てるだろうし」
「……見て、る……けど…………」

買い物ひとつとってみても、それまでは蘭世と一緒に行っていたのが
最近───ココが野菜の名称を覚えたころから───は
ちょくちょくひとりで出掛けるようになっていた
そこでの寄り道が、卓の学校へ向かうきっかけでもあったのだが

「いい機会だし、おれ以外のものにも興味持って欲しいんだよね」
「!! それって……。だって、わたしは卓がいてくれればそれで十分なのよ? なのに、他のものって……」
「わかってるよ。……でもそのままじゃ、おれはおまえが、例えばどういうものが好きなのか
どういうのが苦手なのか……が、判らず終いなんだよ」
「………………え」

心から驚いたような目で、ココは卓を見つめる
その目をまっすぐに見つめ返しながら、卓は言葉を搾り出した

「おれは、“おまえが”どんなものに興味を持つのか、知りたい」
「卓…………!」
「……で、そのうち、おれが教えられるようなことがあれば、教えるし」

わざわざグラウンドに見に来てはいるけれど、ココが、サッカーには全く興味がないことくらい知っていた
興味を持とうとしてすらいないことも

「た……卓…………っ。ご、ごめんなさい……わたし……」
「……恥ずかしいこと、言うけど」

ぼろぼろと零れ落ち始めたココの涙を指先で拭いながら、卓は心持ち頬を赤らめた

「おまえには、おれの後ろじゃなくて、隣を歩いてほしいんだよね」
「と……とな……、り?」
「そう。で……おれは、さ。おれしかいない価値観のなかで一番って言われるよりも
こっちのこともいろいろ知って、そのうえで改めて一番って言われたいわけ」

自分が与えるものだけではなく、自分と同じものを見て欲しいのだ
そして、それでもなお自分のことを求めて欲しい

───自分がいろいろなものを知ってもなお
ただひとりのことしか想うことができなかったように

「……うん……。うん…………!!」

ココはただ、涙を拭いながら頷く
揺れる髪を撫でながら、卓は、ココの唇に静かに唇を寄せた





「あ……、でも」
「ん?」

やわらかく抱擁しあいつつ、心の端で、そろそろ階下へ向かうべきだろうかと冷静に思い始めたころ
ココはふとなにかに気づいたように、腕の中から卓の顔を見上げた

「も……もしかしたら」
「え?」
「もしかしたら、他のものに興味が全部行っちゃって、卓より大切なものができちゃうかもしれないわよ?」
「───ああ……それはありえねえだろ」

してやったりと言わんばかりのいたずらっぽい微笑みは、間髪いれず真顔で返されたその言葉に
あっけにとられたような、意表を突かれたような、何ともいいがたい表情に変わる

「うぬぼれ屋……」

そして、すぐさまくしゃくしゃの笑顔になった




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